週刊!Tomorrow's Way
tomorrows.exblog.jp

テーマはその日の出来事、ニュースから。あと50年経てば、いまの時代、どう語られているのだろうか。
メッセージ
「吾、汝の言に反対す。されど吾、汝の、その言を言うの権利、死に至るまで擁護せん」。学生時代に出会った言葉です。政治をめぐる意見に賛成、反対はつきもの。お互いを尊重しつつ、意見を述べ合いたいものです。 
・→関連エントリー
・→ブロガーズ・マナー
・→ステイタス&プロフィール
◆22万アクセスを突破!記事数644本(2007.3.16現在)

★★人気Blogランキング
よろしければ、ぜひクリックを!
カテゴリはニュース全般です。

・→BlogRanking

★厳選!情報ソース
※ニュースサイト、シンクタンクなどのリンク集。すごく便利ですよ!
(Seesaaに移転しました。)
★ブログ・リンク(excite以外)
※外部の相互リンクのページです。exciteブログはこのフレーム、下の方にあります。  
★中国古典の名言
※生き抜く知恵を古典に学ぶ。
以前の記事
カテゴリ
最新のトラックバック
フォロー中のブログ
検索
タグ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
<   2005年 06月 ( 19 )   > この月の画像一覧
沖縄、6月23日が終戦の日。――ひめゆり部隊の悲劇。
●60年前のこの日、沖縄守備軍の牛島司令官が自決した。

沖縄にとって、終戦の日とは8月15日ではなく、今日、6月23日――。
60年前のこの日、沖縄守備軍、第32軍司令官、牛島満は
摩文仁(まぶに)司令部のあった地下壕で自決した。

それで、今日、この日が沖縄で組織的な戦闘が終わったとされ、
沖縄県によって「慰霊の日」と定められ、毎年、「沖縄全戦没者追悼式」が営まれている。

小泉首相も出席し、追悼のことばを述べた。
首相は就任以来、国会審議のために東京を離れられなかった
2003年を除いて毎年出席しており、4回目となった。

                    ※※

●山の形が変わり、県民の4人に1人が犠牲になった沖縄戦……。

昨年の年の瀬、12月に、初めて沖縄を旅行した。
首里城、世界遺産に登録された城跡などの史跡をめぐり、
石畳の小路を歩き、青い海を見て、夜は沖縄の料理に舌鼓を打った。

10年目という、観光タクシーの運転手の方はさすがになんでも詳しく、
車中、戦争のお話もうかがった。たとえば、首里城――。
日本軍は文化遺産は攻撃の対象からはずされると計算して、
首里城のあった丘に地下壕を掘り、そこに司令部を置いた。
ところが、米軍は攻撃を躊躇せず、結果、首里城は焼失してしまった。
(※現在の首里城は周知のとおり復元されたもの。)

「首里城のある山の形は、実はいまとはずいぶん違っていたそうです。
艦砲射撃で、形が変わってしまったんですね。雨のように降り注いだのですから。
NHKのドラマ(ちゅらさん)で石畳の道がよく映ったでしょう。
でも、いまの沖縄では、(首里城のふもとにある)金城にしか残っていないんですよ。
歩いたってほんのちょっと、短いです。それでも、残っただけ奇跡だったのでしょうね。
ちょっと止まりますから歩いてみてください。私は車のなかで待っていますから」

沖縄戦での犠牲者は20万人を超え、そのうち12万人以上が、
一般の沖縄県民だった。当時の沖縄県の人口は45万人ほどと考えられているので、
県民の4人に1人が死んだことになる……。

                    ※※

●ひめゆりの塔に抱いていたイメージ、……そして現実の姿。

読谷村、那覇市のホテルにそれぞれ一泊し、
ひめゆりの塔、ひめゆり平和祈念資料館は最終日に行った。

沖縄戦に学徒動員された女学生たちが、敗戦の迫るなかで集団自決した――と、
そんなふうな認識でいた。ところが、実際にその地を訪れ、
生き延びた方々の証言にふれて、自分の知識、認識の甘さを恥じる思いにかられた。
決して、小説や映画で美談になったような出来事ではなかった。
それは、このブログにも書けないほど……。

とくに下をうつむきたい気持ちになったのは、
犠牲になった女学生たちの、動員前の学園生活の写真だった。
笑顔が並び、肩を組み、歌い、はしゃいでいるようす。
いまの時代となんら変わらない、夢や希望、明るさに満ちているふうだった。
その彼女たちが、あっという間に戦争に呑み込まれてしまった。

                    ※※

●ひめゆり部隊は90日間の出来事。……動員前の彼女たちは青春を謳歌していた。

私自身、誤解していたのは、ひめゆり部隊として女学生たちが動員されたのが、
ほんとうに、米軍の上陸が差し迫ってからだった――ということ。
ひめゆり部隊として動員されたのは沖縄師範学校女子部、沖縄第一高等女学校の
生徒たちで、どちらも全寮制だった。

寮では、部屋ごとに「美人投票」があり、美人には必ず新入生が選ばれ、
選ばれたものは必ずお菓子を奢る、というイタズラな伝統もあったとのこと。
パールバックの「大地」、マーガレットミッチェルの「風と共に去りぬ」、
石坂洋次郎の「若い人」などをみんなで読むような、そういう生活だった。

                    ※※

●米軍迫るなか、配属された「陸軍病院」とは……。

米軍の沖縄上陸戦がはじまった1945年、昭和20年3月23日深夜――。
沖縄師範学校女子部、沖縄第一高等女学校の生徒222名が、教師18名に引率されて、
那覇市の東南5キロにある南風原(はえばる)の「沖縄陸軍病院」に向かうことになった。

その、222名のなかには、疎開を希望しながら学校から拒否された生徒、
帰省先の離島から度重なる帰校命令によって呼び戻された生徒もいたのだという。

一方で、生徒たちは「陸軍病院」に動員されると聞いたとき、
そこは弾の飛んでこない、赤十字の旗がはためく病棟であって、
危険な場所とは想像もせず、そこで看護活動をするものと信じた――という。

                    ※※

●地下壕に充満した血と膿と排泄物……。

しかし、そこはまぎれもない戦場で、「陸軍病院」とは名ばかり。
蟻の巣のように横穴がはりめぐらされた地下壕で、
土壁に沿って粗末な2段ベッドが備え付けられただけの病棟。

壕の中には血と膿と排泄物の悪臭が充満し、
負傷兵のうめき声、怒声が響くばかりの場所だった。

そこで生徒たちは、負傷兵の看護、排泄物の処理、水くみ、食事の運搬、
伝令、死体の埋葬……などが仕事として割り当てられた。

                    ※※

●兵士のうめき声、罵声、危険な食事運搬、水汲み、……そして死体処理。

暗い壕のなかで、生徒たちは昼夜を分かたず働き続けたが、
負傷兵からは、あまりの傷の痛みや空腹に苛立ち、
「俺たちは沖縄を守りに来ているのに、この様はなんだ、お前らも壕を出て行って、
傷ついてみろ」などと、生徒たちに当り散らす人もいたとのこと。
(資料;ひめゆり祈念資料館ガイドブック、以下同)

生徒たちのなかには、任務の途中、たとえば水汲みや食事の運搬などの際に、
砲撃、機銃掃射にあったり、ガス弾攻撃をうけるなどして、命を落とすものが出た。
少し前まで、学園生活を楽しんでいたはずの彼女らにふりかかった凄絶な運命……。

また、極度の栄養失調と睡眠不足で、心身に変調をきたす生徒もでは出始めた。
こうした症状になった生徒は「壕マキ」(壕に負ける)と呼ばれた。

                    ※※

●日本軍崩壊の直前……、突如として下された解散命令。100余命が亡くなった。

動員からおよそ90日、6月18日の夜半、米軍の迫る中、
陸軍病院では生徒たちに、突然の解散命令が下された。
「君たちは今日までよく頑張ってくれた。今日からは自らの判断で行動するように」

動揺する生徒たちに、教師は「決して早まったことはしてはいけない」
「安全な場所を探して一人でも多く生き延びなさい」と諭したとのこと。
けれども、重傷の学友をのこして壕を出るのもつらく、
砲弾飛び交う壕の外に出るのも恐ろしく、生徒たちは壕の中からなかなか動けなかった。

また、壕を出て逃げようとしても砲弾に吹き飛ばされたり、ガス弾攻撃を受けたり、
また海に出て波にのまれてしまった生徒たちもいた。
手榴弾で、自らの命を断った生徒もいた。

……数多くの生徒たちが、みな、父母の名を呼びながら死んでいった。

3月の動員から解散命令までの90日間に19名が亡くなっていたが、
解散命令後のわずかな日数の間に、100余名もの生徒たちが命を落とした。
小説、映画のような美談など、生まれようもない、極限であったと思われる。

                    ※※

●運転手の方、「自決ではなく降伏してほしかった……」と。

観光タクシーの運転手さんが話した。
「牛島司令官には自決ではなく、降伏してほしかったと思いますね。
それも、もっと早く。牛島司令官は自決したけれど、そのときになっても、
部下たちに降伏を許さず、最後まで戦えと命じたのですから。
それで、6月23日のあとにも、たくさんの方々が亡くなってしまったんです」

冒頭、6月23日に組織的な戦闘が終わったとされている――と記述した。
司令官が自決した以上、組織は崩壊した、と考えてよいということなのだろう。
だが、牛島司令官は、のこった部下たちに降伏を認めなかった。
それで、沖縄各地における抵抗が続き、犠牲が増してしまった。



              …………◇…………

※このエントリーは今後において加筆する予定です。

※記述にあたっては、次の資料を参考にしています。
①ひめゆり平和祈念資料館ガイドブック
(財団法人沖縄県女師・一高女ひめゆり同窓会発行、2004年8月15日初版発行)
②ドキュメント太平洋戦争6「一億玉砕への道」(NHK取材班編、角川書店、平成6年4月刊)
③戦火の昭和史―興亡と夢4、5(三好徹著、集英社文庫、1988年10月刊)、他
[PR]
by yodaway2 | 2005-06-23 23:57 | 社会の問題、世相さまざま
イラク、自衛隊車列に爆弾!――籠城しても、傷つくな。(速報)
New!★新コーナーのお知らせ/首相動静録――首相の一日から明日を読む。

≪追記/18:30≫

●間一髪だった!――運がよかったのかもしれない。

ニュースサイトに記事がアップしはじめた。
爆発は自衛隊の車両が通過した後ではなく、通過中だったらしい。
車両は4台。そのうち1台が爆風のために、窓ガラスが破損した。
車列には合わせて約20名の隊員が乗り込んでいた。

間一髪で、人的な被害から免れた、とみていい。
相当、危なかった。運がよかった、のかもしれない。

                    ※※
≪速報/16:32アップ≫

午後4時、NHK、BSニュース。日本時間、今日午後2時過ぎ、
イラク、サマワ、駐屯地東5―6キロの地点で、陸上自衛隊の車4台が通り過ぎたところ、
道路脇に仕掛けられていた爆弾が爆発した――とのこと。

窓ガラスが傷付いた(割れた?)がけが人はなし。
地元の方で巻き込まれた人もいないという。

しばらくぶりの、イラク派遣の自衛隊のニュース。
日々、いろいろあって、国会で1年間の派遣延長に、
あれだけもめたというのに、新聞もテレビも取り上げることは、
めっきり少なくなっているように思われる。

部隊は3ヶ月ごとに交替しているはずだが、
そのニュースの扱いも、回を重ねるごとに小さくなっていくような印象がある。
しかし、当然のことながら、活動は継続しているし、交替も行われている。

                    ※※

米国も出口戦略――、すなわち撤退のタイミングを探っているに違いないが、
その一方で、イラク国内では、いまだに仕掛けた爆弾や自爆、襲撃、
あるいは外国人誘拐などによるテロが収束していない。

22日夜にも、バグダッド北西部において、爆弾テロとみられる爆発が連続して4件発生、
巻き添えになって計23人が死亡、50人以上が負傷したと伝えられた。
21日も武装勢力、スンナ軍から7人を殺害したと声明があった。
20日には自動車爆弾でイラク人警察官が死亡した、食堂が爆破された、
19日には米軍が掃討作戦で武装勢力50人を殺害した、18日には………と、
さかのぼって、結局、ニュースに切れ目がない。

                    ※※

12月までの派遣延長期間まであと5ヶ月と少し……。
米国の動きをにらみながら、日本も政府内において、
部隊撤収のプログラムと、さらに撤収後の復興支援策の検討が進んでいるようす。
その最大の目玉は、撤収後に、サマワに火力発電所を建設する――というもの。

                    ※※

サマワはバグダッド、あるいは抵抗の続くイラク北西部と異なり、
比較的落ち着いていると伝えられているが、油断はまったくできない。
が、危ないからと言って、いまのいま、引き返すこともできない。名目はともかく、
日本ただ一国で行動しているのではないことは、子どもの目にも明らか。

                    ※※

以前、大野防衛長官がNHKの討論番組に出て、
宿舎の中にいれば安全なように対策を講じている、くわしくは
安全にかかわるので言えないが、それだけのことはしている――、と言っていた。

米軍の宿舎は多くがコンテナのようで、迫撃砲が打ち込まれると
穴が開いてしまうらしいのだが、自衛隊の宿舎は、どうやら、
大野長官の言葉からすると、そんなおざなりな防御構造ではないようだ。

その通りとするなら、状況がはっきりして落ち着くまで、
自衛隊は駐屯地に立てこもって動くなくていい、と思う。
格好なんて悪くたってなんだって、怪我しないこと。

イラクに出て行った以上、そこで自分たちを守ってくれるのは、結局、自分たち自身――。
再延長がなければあと5ヶ月……、なんと言われようと、
自衛隊は傷つくな――と祈りたい。
[PR]
by yodaway2 | 2005-06-23 16:32 | 日本とイラク、どうなる
首相動静録、始めてみました。――首相の一日から明日を読む!
別アカウント(別ページ)で「首相動静録」、始めてみました。
「冷やし中華、はじめました」と、けっこう、同じようなノリです。^^
・Tomorrow's Way〔首相動静録〕 → http://tomorrows2.exblog.jp/

リンクを左フレームに張っていますので、通常はそちらからご移動ください。
出張など、特別の事情がない限り、毎日(翌日)の午前に更新します。

他のブログでも見られる企画ですが、何より、自分自身、興味がありまして、
自分のための資料保存が動機です。スミマセン。

ただ、当ブログは時事ネタ系・ニュース総合のつもりですので、
関連する情報を取り込んでいるほうが、何かのときに、役立つかもしれません。
また、記事は、個々のニュースサイトにおいて保存されていないようですので、
過去にさかのぼって、首相の行動などを調べたいときに、使えるかもしれません。

別アカウントにしたのは、首相の一日を、ブログの利点である
カレンダー機能からたどったり、サイト内検索をしやすくするためです。

                    ※※

ブログ紹介の惹句には次のように記載しました。
「週刊!Tomorrow's Wayの別室です。
首相の一日を保存、短くコメントします。
そこから見えてくる明日があるかもしれません。」

毎朝の新聞の隅に、小さく掲載されている首相動静、首相の一日、小泉日誌……、
各紙、タイトルはそれぞれですが、いずれも首相の日録を短くまとめている記事です。
時間を追って、どのような会議に出席したか、どこへ行ったのか、
誰と会ったのか等々が記録されています。

この記事をチェックするだけでも、政府、政権が、何を考え、どこへ向かおうとしているのか、
あるいは、何が問題となっていて、どんなことで迷っているのか――などなど、
いろいろ考えることができようというものです。

                    ※※

ずっと以前にみた米国の映画(タイトルは忘れました)で、記憶喪失の男性が、
記憶力が以上に発達してしまい、電話帳を見る端から暗証する場面を見たことがあります。
それとは違うのですが、首相の、一見、ごちゃごちゃした日程も、
じっとみていると、けっこうおもしろく、飽きません。
(ひょっとしたら、私もアタマが少し、異常なのかも……と思いますけれど。^^)

                    ※※

こちらのブログだけでも十分に手が回らない状況なので、
続くかどうか……、ちょっと自信がなく、三日坊主にならないか、心配です。
また、ちょこちょこ改良を加えることになると思いますが、しばらくやってみます。
よろしければ、のぞいてみてください。

以上、ご案内まで。亭主敬白。


※情報は時事通信を中心に、日経、共同の記事と比較、加味して記述、保存します。
※日録の情報は著作権の関係で事実に相違ない部分、すなわち
  創作にあたらない部分を引用、抜粋、もしくは参照したものとなります。
※動静録のアカウント、yodaway2_2としていますが、本来のHNはyodaway2です。
[PR]
by yodaway2 | 2005-06-23 15:08 | ブログの気持ち、いろいろ
日韓会談、夕食は軽めに……と。諍いなき国、いまだ遠し?
今日の午後、ソウルにて行われた日韓首脳会談について。
午後5時20分からの共同記者発表(中継)を途中から、そして夜の
民放TVのニュースで、コイズミ首相への単独インタビューのようす(一部)を見た。

ニュースでは日韓の首脳が交代に話したような映像になっていたり、
また、日本側、コイズミ首相の発言が先に報じられたりしていたが、
中継を見ていたところ、実際はそうではなかった。

最初に開催地、韓国の盧武鉉大統領が10分ほど話し、
続いてコイズミ首相が同じく10分ほど話した。
盧武鉉大統領の表情は終始、非常に硬く、笑顔はなし。
コイズミ首相もスピーチ台の原稿(メモ)に何度も目を落としながら、
慎重に言葉を継いでいた。

昨年行われた2回の首脳会談では、韓国では済州島、
日本は鹿児島の温泉地――と、双方、リゾート地を開催場所に選び、
非常にラフなスタイルで会見に臨んだのとは一変してしまった。

わずか1年、あるいは半年少しの間に、
両国政府の雰囲気は、凍りついてしまった。

                    ※※

盧武鉉大統領は発言の最後に、
「今日の夕食は軽めにする考えです」――と述べた。

言葉尻をとらえたいとは考えないが、
このひと言に、盧武鉉大統領からする落胆が読み取れるし、
あるいは逆に、最初から成果の生まれようもない会談に、
世論を気にしつつ、うかつに成果があった……などと
甘く演出できない事情があると、そう解釈もできる。
また、皮肉であるのかもしれない。抗議であるのかもしれない。

以下、飛び飛びながら一端を。

>歴史認識問題、靖国問題をめぐって2つのことで合意に達しました。
>しかし、この2つの合意内容は、今日の会談でと言うよりも、
>事前の外交チャンネルでもって合意された事項であります。

>内容について申し上げますと、第2期目の歴史共同研究を行い、
>その傘下に教科書委員会を新設することにしました……。
>また、靖国問題については第3の追悼施設について、国民世論など
>諸般の事情を考慮して検討すると約束されました。
>読み間違いました。合意事項は緊密に張背されたもので、
>約束という言葉はありませんでした。……約束という言葉が
>どのような力を持つかは、私にはわかりません。

>しかしこれらは最初の10分間で話し合われました。
>のこり1時間50分は歴史に関する基本的な認識の問題、
>教科書問題、靖国神社参拝問題に至るまで、これらの問題について、
>隠すところなく、真摯に意見交換しましたが、合意には達しませんでした。

>内容について、いちいち紹介はしません。
>ただひとつ、紹介するとすれば、交流を強化していくことは大事ですが、
>それだけで平和を保障することはできないと申し上げたことです。
>平和を保障するには、外交的、政治的な枠組みを確立していかなくてはなりません。

>小泉総理大臣閣下も私も努力して、北東アジアの平和に、
>画期的な土台をつくらなければならないということを申し上げました。
>小泉総理大臣閣下も私も、そのことに責任を取らなければならないのです。

>夕食は軽めにする考えです。

                    ※※

コイズミ首相は盧武鉉大統領の発言の間、表情を
ほとんど変えずにいたようにも見えた。
内心、渋い思いで聞いていたのかもしれない。

発言は原稿(メモ)をなぞったようであって、
会談の成果を順序よく並べていき、整理された内容だった。

発言の最後に、日韓で活躍した韓国の歌人、
ソンホヨンさんの歌から、次の一節を引用した。
「切実な 望みが一つ 我にあり 諍(あらそ)いのなき 国と国なれ」。

しかし、これもまた、事前に練られた原稿だったに違いない。

                    ※※

共同記者発表のあと、コイズミ首相のみが、日本側メディアの記者会見に応じた。

――靖国神社参拝問題ですけれども、これについて盧武鉉大統領から
どういうお話があり、総理からどのように話されたのでしょう?

>靖国の問題、出ましたけれども、私は決して戦争を美化したり、正当化して
>参拝しているのではないと、心ならずも戦場に赴いた戦没者たちの追悼のために
>参拝しているのだと、もう2度と戦争を起こしてはならないという気持ちで
>参拝しているんだと、率直に申し上げました。

――盧武鉉大統領は参拝中止を求めたんでしょうか?

>直接というか、その、中止してくれとか、そういう言葉ではありませんでしたがね、
>その言葉の端々に中止してくれと言う気持ちはわかりましたね。

                    ※※

結局、コイズミ政権は、とくに外交において、
何を求めているのだろうか……?

目的はもちろん、描いていると信じたい。
しかし、それが複数、それも数多くあるとして、
何を優先しようとしているのだろうか……?

どれを優先して、どれが後に回るなどと考えるべきではない――とする意見も
あるかもしれない。しかし、現実の政治では、多く、優先順位と
その調整手段とを考えないわけにはいかない。否、それこそが政治ではないのか。

さらに、政治的な課題は、その多くが、相互に関係しあっていて、
全体が、あたかも一つの多元方程式のようになっている。
個々の、加減乗除の解をあわせても、計算式全体の法則からはずれれば、
方程式を解く答えになるとも限らない。

                    ※※

相手国の上を行く知恵が、やはり試されるのではないのだろうか。

                    ※※

中国、韓国の反日デモ、反日感情には、何か政治的な意図が
見え隠れしている、少なくとも始まりはそうだった……と、疑っている。

しかし、それでも、政治の場では、相手と対立する術よりも、
相手を巻き込む術、知恵に長ける者が、結局は生き残る――と、
これまでの、私の拙い見聞からだけれども、そのように思うのだが……。


・毎日→日韓首脳会談:会談要旨 日本側、韓国側発表(21日東京朝刊)
(※発言内容ははNHK他、TVニュースの同時通訳、音声から概略、書き起こしたものです。)
[PR]
by yodaway2 | 2005-06-20 23:29 | 世界のいろいろ、さまざま
JR福知山線、運転再開。――いまは、敬礼の姿を信じたい。
昨日、55日ぶりに運転を再開したJR福知山線について――。
・毎日→尼崎脱線事故、55日ぶり運転再開、JR宝塚~尼崎間(06月19日 09時55分)
・共同→2カ月ぶり通勤ラッシュ=脱線事故のJR福知山線(06月20日 09時09分)

始発列車は午前5時、定刻通りに宝塚駅を出発。
運転士は事故車両の運転士と同じ年齢で同期の方。
隣には白い制服姿の、垣内剛社長らが同乗。

事故現場に差し掛かる前に、列車は30キロ荷まで減速、
午前5時18分、事故現場を通過――。
運転席からマンションに向かい、垣内社長らは敬礼した。

線路の傍ら、献花台近くには、南谷昌二郎会長ら同社幹部約40人が集まっていて、
やはり直立不動、敬礼して列車の過ぎ行くのを見守った。
列車の向こう、街の彼方には、朝焼けが残っているようにも見えた。

                    ※※

事故の引き金は運転士の、遅れを取り戻そうとしての、無理な運転にあった。
制限速度を30キロ以上も上回る速度でカーブに突入し、脱線、マンションに激突。
107人の命が失われ、554名を超える人々が負傷、
いまも61人が入院するなどの治療を受けている。(毎日)

事故の背景には、JR西日本の安全軽視の体質があったと指摘され、
企業としての責任が厳しく問われる事態となった。

少なくとも、自動列車装置、ATSを整備していれば、
ヒューマンエラーがあったとしても、事故は防げた。

                    ※※

自然災害とは異なる人為的な事故――。
しかし、亡くなった方は生き返らず、ご家族の方々も、
その運命を変えることはできない。
惨事を免れた方々にも傷は残っている。

そして、さまざまな賠償、補償の問題もこれからと聞く。

                    ※※

列車運行再開で、静まり返っていた駅前商店街の方々からは、安堵の空気が生まれた。
明けて今日、週のはじめの月曜日、通勤客が駅を行き交い、ラッシュが戻った。
列車は、本来、人々の人生を運ぶもの……。

事故後に、大破した車両に乗り合わせた学生の方が話していた。
たとえ後遺症が残ったとしても、亡くなった方のことを思い、前向きに生きていきたい、と。

家族を失い、運命に取り残されてしまった方は大勢……。
傷の癒えぬ人々も大勢……。それを刻みつつも、
それぞれの人生において、再生が始まった。

                    ※※

直立不動、事故現場で敬礼していた、
JR西日本の社員の方々の姿を、いまは信じたい。


※当ブログ関連エントリー
  →脱線、緊迫の瞬間――。運転士、車掌の心をよぎったのは何か?(04月30日)

[PR]
by yodaway2 | 2005-06-20 12:18 | 社会の問題、世相さまざま
BSディベート、日韓の課題。青年たちの意見に希望あり!^^
一つ前のエントリーへの、ko-bar-berさんからのコメントで、
NHK、BS-1、BSディベートで日韓問題が取り上げられていることを知り、
いま、テレビでそれを見ている。番組名は「日韓の課題、いま語りたい」
(……すっかり、このところ、テレビっ子になってしまった。^^;)

                    ※※

スタジオ(観覧席)で討論したのは日本、韓国とも、
学生であったり社会人であったり、かなり若い世代の方々――、
20代の方々が多いよう。最初、ニュースを見ていて、始まりの部分だけ見逃した。
これまでの30分、靖国問題を中心に話し合っていた。

日本、韓国の青年とも、とても落ち着いて相手に質問し、
また自分の意見を述べている。
さらに、相手の立場を気遣いながら、主張している。

政治家の行動、発言の方が、かえって視野も狭く、
結果として相手の反発を高めあうものだけにしか思えないほど。
りっぱ、りっぱ。

ディベーター役の識者(大学教授ら)も登場しているのだけれど、
青年たちの意見を述べる姿勢は、それよりもりっぱに思えるほど。

いま、教科書問題、歴史問題に話題が移った。
放送中にこちらをもしご訪問いただいているのであれば、
ぜひ、チャンネルを合わせていただければと、オススメする次第。

ディベートの内容は、番組をごらんあれ!^^

                    ※※

討論する青年たちに、希望を感じる――なんて言ったら、
ちょっと買いかぶり、かな?^^

でも、ベリィ・グー!


                    ※※
≪追記、20日10:30≫
日が改まって今日20日、日韓首脳会談がソウルで開催され、
夕方には共同記者会見の予定。
「竹島の日」制定から始まった反日デモ……。
日本人として納得はしていないが、いつまでも放置しておけない。
どう、やりとりするのか、聞き耳を立てたい。
[PR]
by yodaway2 | 2005-06-19 20:00 | 世界のいろいろ、さまざま
日韓条約、そして沖縄戦……とTVを見て過ごした。ちょっと重い気分。
7時過ぎから、ずっとテレビを見ていた。
ニュースのあと、NHK、BS-1でBSドキュメンタリー、「日韓条約、知られざる内幕」。
9時からNHKスペシャル、「沖縄よみがえる戦場、地上戦に巻き込まれた住民たち」。
どちらも、重かった……。

                    ※※

過日、日韓歴史共同研究の報告についてエントリーしたけれど、
やはり、分かり合うのは不可能だろうと、改めて思わずにはいられなかった。

さらに、違いがわかっただけでもよかった――などとの評価もあったけれど、
違いがわかっても溝が埋まらないのでは、お互いの疑念を
広げるだけにしかならないのではないか、とまで思った。

日本と韓国は、政治的には、お互い遠慮し合うような、大人の関係でさえあれば十分――。
韓流ブームではないけれど、仲良く付き合えるところで付き合えれば、十分。
無理に分かり合おうとしても、無理だ。

                    ※※

番組を見ていて、先ごろ、米韓首脳会談が行われたけれど、かつて
アイゼンハワー大統領が、共産主義の台頭に備え、日韓の和解を強く促したのと同様、
今回の米韓首脳会談においても、韓国は、日本との関係について、
たぶん、おそらく、、釘を刺された――と考えた。

間もなく、日韓首脳会談がある。日本からすれば
北朝鮮への対応、バランサー論などで韓国側を、ちょっと質したい気分。
韓国側からすれば歴史問題、靖国問題……を避けて通れないということだろう。
竹島問題については、外交当局同士で話し合わないことに決めたよう。

さまざま言いたいことはあるけれど、お互い
がまんしあうセンスも必要ではないか――とも考えてみた。

                    ※※

そのあとの、NHKスペシャル、「沖縄よみがえる戦場……」。
こちらは、さらに重かった。

昨年末、沖縄を旅行していたのだけれど、美しい自然の姿に
癒されたはずだったのだが、ちょっと、気持ちが凍った。
結論のみ……。戦争は、やはり、イケナイ。

政治のリーダーの思想、見識、判断力、指導力いかんで、やはり歴史は変わる。
時代の流れ、歴史の奔流に飲み込まれる、などの言い方もあるが、
政治を担うリーダーが、その言葉に逃れることはできない。

いまの時代が、よくない方向に向かっている――などということが、
決してないように望みたいし、ある意味では、いまの時代を、
フツーに生きている私たちにだって、責任はゼロでない。

誰だって、知恵を試されているのだと思う。

                    ※※

……と書いていたら、サタデースポーツ。ほっとした。
[PR]
by yodaway2 | 2005-06-18 22:11 | 社会の問題、世相さまざま
BS、映画音楽ベスト100――、やっぱりいい!
ちょっと、夕食までのブレイクタイム――。
まだ、夕食が出来上がっていないので。

いま、NHK、BS-2で「アメリカ映画音楽ベスト100」を見ている。
アメリカ映画協会、AFI選。

ロッキー、フラッシュダンス、サウンド・オブ・ミュージック、ボディガード、
雨に濡れても、真夜中のカウボーイ、ウエストサイド物語、
キャバレー、マイフェアレディ、スター誕生、タイタニック……。
映画ごとに、曲ごとに、作曲家、歌手、監督、出演者など、
ゆかりの人たちが登場し、コメント。

すごく月並みだけれど、ものすごく、感動する――。
スクリーンからあふれてくる夢、希望、理想、愛、勇気、戦い……。

そして最近、映画、見てないなあ……と。

                    ※※

高校生のころ、劇場で「サウンド・オブ・ミュージック」を友人と見たことがあった。
友人はボロボロ泣いて見ていた。
映画も思い出に残っているが、そのときの彼の顔が忘れられない。
(ちなみに彼はすごいバンカラで、泣くようなイメージでは、まるでなかった。)

また、「風と共に去りぬ」――は、中学生のときに、はじめて見た。
ビデオなんて、まだなくて、もちろん劇場で見た。
ときどきリバイバル上映されていて、そのたびに足を運び、
劇場だけで7回も見た。(いまはDVDで見ている。^^)

少年だった私は、レット・バトラー(クラーク・ゲーブル)の男らしさにショックを受け、
それからずっと、理想とし、心のなかで教科書にしていた。
(現実の私は、もち、宇宙的に理想とは遠いけれど、ね。)

                    ※※

ところが最近、映画館に出掛けていない。
それどころかDVDでもテレビでも見ていない。

キミ、ココロが摩滅してきてるなんてないよね、――と、
思わず、自分に問いかけてみた。

番組はまだ途中……、夕食の支度が整ったらしい。
さ、ガンバロっと。
[PR]
by yodaway2 | 2005-06-17 21:20 | ブログの気持ち、いろいろ
地球環境;イースター島が警告する、人類の未来とは――?
突拍子もない話なのだけれど、私たちの住んでいる、この地球、
いったい、いつまで持つのだろうか……と、
そんなことを考えることがある。

まるで子どもがする空想のようでもあり、笑われるかもしれないが、
でも、今日はこのことについて書き留めておきたい。
実はずっと、書こう、書こうと思っていた。

                    ※※

●NHK「世界遺産の旅」を見ていて思い出した、イースター島の話……。

1ヶ月ほど前だったか、帰宅してテレビを見たら、ちょうど、
「地球探検ロマン――世界遺産の旅」という番組だった。
そのときのテーマが、モアイの石造で有名なイースター島だったのだけれど、
それで思い出した話があった。
・NHK 世界遺産の旅 → チリ・イースター島

もう3年も前だろうか……、ある会社から環境問題に関わるシンポジウムの
プロデュースを請け負ったことがあった。そのときの講師のお一人に、
東大大学院の石弘之教授(いし・ひろゆき)がいらっしゃって、
同氏に環境史から見た、イースター島文明についてお話いただいた。

環境史とは、あまり耳慣れない言葉かもしれないけれど、
簡単に言えば、自然環境の変化が人類史、ことに
政治や社会体制のありようにまで、大きな影響を与えてきた――とする見方。
その事例として、イースター島文明の興亡をとりあげられた。

(※以下は、そのときのお話、著書等を参考にし、かつ、
筆者(yodaway2)が情報を整理した内容となります。)

                    ※※

●なぜ、巨石文明は興り、滅びたのか。

イースター島は南太平洋の絶海、南米チリの沖合い3800キロに浮かぶ小さな島。
大きさは、日本の小豆島ほどでしかない――。
ここに、モアイの石造に象徴される文明が栄え、滅びた歴史があって、
世界七不思議のひとつにも数えられてきた。

なぜ、滅びたのか――。
このことは、イースター島の文明の起源とともに、長く謎とされていたが、
1980年代半ば、ニュージーランド、マッシー大学のジョン・フレンリーらが
科学の光をあて、解き明かされることになった。

                    ※※

●人口爆発に島の環境が変化……、その結末は。

イースター島に最初、渡り住んだのは、どうやらポリネシア人の数十人だったらしい。
紀元後5~6世紀のことらしい。それがある時期、小豆島ほどの面積しかないこの島で、
人口7000人以上にまで爆発してしまった。

そこで何が起きたのか――。
部族間で争いが起き、食糧を奪い合い、あらゆるものを食べつくし、
エネルギー源であり資源でもあった樹木を刈り尽くし、生産手段を失い、
最後は互いを食べあうまでになったのだという。
島の環境が激変した結果だった。

そして……、その争いのなかでモアイの石造は倒され、
長く繁栄を誇ってきた文明は滅びた。

                    ※※

●イースター島の興亡に、地球の未来がかすんだ。

ジョン・フレンリーらの研究を知って、
イースター島文明の興亡の歴史は、すなわち、
地球と人類とに対する警鐘である――と、多くの人々が衝撃を受けた。

イースター島で起きたことは、
私たちの生きている地球全体の未来においても、
絶対に起こらない――とは限らない。

                    ※※

●最初、渡り住んだポリネシア人、10数人から始まった……。

石教授のお話の要旨は以上のとおりであった。
以下に、キュルキュルとテープを巻き戻して、少し補足を交えつつ、最初から。

まず、イースター島の人々がいつ、どこから来たのか、について。
長く、さまざまな説があり、ノルウェーの有名な文化人類学者、
トール・ヘイエルダールらは南米人渡来説を唱え、
実際にコン・ティキ号という筏でペルーを発って、実証しようとしたりした。
しかし現在は、DNA鑑定の結果、イースター島の人々はポリネシア系と判明し、
だいたい紀元後5、6世紀に、数十人の規模で渡来した――との説が有力となった。

ポリネシア人は、全地球上の面積の20%を占めるほど、
世界で最も拡散した民族で、紀元前1500年頃、東南アジアから大平洋に乗り出し、
数千キロも航海して、北はハワイ、南はニュージーランド、
そして東の果てに、イースター島までたどりついた。

                    ※※

●いまはほとんど樹木のない島が、かつては森におおわれていた。

現在のイースター島に木、とくに高木はほどんどない。
NHKの番組で植林の取り組みが紹介されたが、いまある、
少ない樹木も、ほとんどが人工林なのだという。

18世紀に初めて、この島に上陸したヨーロッパ人たちも、
現在と同じように、木がほとんどない、荒涼とした
イースター島の光景を目にしている。

ところが近年、チリの大学とアメリカのウィスコンシン大学が共同で、
古い土壌に残っている花粉からイースター島の植生を調査したところ、 
ポリネシア人が島に住み始めた1600年ほど前は、
おそらく最低30種類以上の大きな木があったということがわかった。

つまり、イースター島はかつて、木に覆われた緑豊かな島だった。
けれども、天然の木はほとんど消えてしまい、いまは、人工林だけ。
では、なぜ、どのようにして木がなくなったのか……。

                    ※※

●イモ類の栽培に余暇が生まれ、石造文明が誕生。

紀元5、6世紀、イースター島にやってきたポリネシア人たちは、
前述のとおり数十人程度で、そのとき彼らは舟にサツマイモ、タロイモ、
バナナ、ニワトリなどの食糧を船にのせていたと考えられている。
彼らは島でそれらの栽培や飼育を始めた。

イモ類は非常に農作業の時間が短く、一度植えてしまえば、
放っておいても芽が出て育つ作物で、人々にはたっぷりと時間があったに違いない。
また、島は森に覆われ、石も豊富にあった。……ということで、
島には、やがて文明が生まれる。

                    ※※

●氏族の先祖崇拝の対象であったモアイ像。

もともとポリネシアには、石の像を造って祖先の霊を祀る「祖先崇拝」の習慣があった。
そこで、この島にやって来た人々もせっせと石像――モアイづくりに励み、先祖を崇拝した。

島では時間の経過とともに人口が増えだし、氏族、部族が生まれ、
それぞれモアイ像づくりにも競いあうようになった。

モアイ像をつくる石切り場は限られており、そこでつくった像を、
各氏族、部族は自分たちの村まで運ばなければならなかった。

NHKの番組では、その運搬方法について諸説、紹介があったが、
概ね丸太を敷いて、その上を転がしたというのが、有力な説。
石切り場から建てる場所まで運ぶのに、長い場合は20kmもの距離があり、
競争によって大きな石像をつくればつくるほど、それだけ膨大な量の
木を伐採する必要が生まれた。

●「人口爆発」がイースター島に引き起こしたこと。

最近の研究で、住居の跡や、食べがらの量を調べた結果、
島の人口の変化がわかってきた。

最初数十人だった島の人口は徐々に増え、人々が島に流れ着いてから
1000年経ったころ、7000人以上、一説には10,000人以上にまで膨らんだのだという。
この小さな島で人口の大爆発が起きてしまった。

そのときに、イースター島では、
一体どのようなことが起きたのだろうか――。

                    ※※

●食糧、天然資源を採り尽くし、さらに……。

食料がひっ迫しはじめた。
人々は島中で食料になりそうなもの、つまり海鳥、周辺の魚や貝などを、
次から次へと食べ尽くしてしまう。

一方で人口の増加に伴い儀礼がどんどん盛んになり、
そのなかでモアイ像も、ますますたくさん造られるようになった。
そのため、石を動かすのに木がどんどん切り倒された。
また、人々の住居やエネルギー源としても、どんどん木が切られていった。

木がなくなると、漁に使う丸木舟も造れなくなり、
舟がなくなれば、沖へ出ての漁ができなくなってしまう。
……それで、ますます食料を得ることが難しくなってしまった。

また、衣服も木の皮の繊維から作っていた。
それで、木がなくなったことによって衣服も作れなくなり、
最後は毛髪で編んだ褌のようなものを身にまとうだけになってしまう。

                    ※※

●部族間が争い、モアイは引き倒された……。

食料資源を失い、全く天然資源を失ってしまった人々は、どうしたのか……。

同胞同士の食い合い、つまり敵対する一族をつかまえて食べてしまう、
ということが始まってしまった。島にある洞窟の中からは
人を食べた跡らしく、人骨がいっぱい出てきている。
人骨の中には、頭蓋骨を割ったり、骨を叩き切って
骨髄を取り出したような跡――、つまりカニバリズムの証拠も見つかっている。

すべての食料、天然資源を採り尽くしてしまった島の人々は、
異なる一族のモアイ像を倒し、戦争を仕掛け、人を捕まえて食べはじめた。
人口はまたたく間に激減、百数十人にまでになり、島の文字、
ロンゴロンゴを読める人もいなくなった。

……かくして、イースター島の文明は崩壊した。


●地球の人口は63億人超……、2050年には100億人突破の推計。

イースター島で起きた悲劇は、やはり、この地球の未来にも、
大きな警告を発していると、考えたほうがよさそうだ。
地球の人口は、現在、63億人を超えたと言われている。
・→推計によっては6,447,925,519人、US.Census Bureau、15日23:06

地球の人口は200年前には9億人足らず、100年前にはおよそ16億人。
日本、先進諸国などでは人口減少が社会問題となっているけれど、
アフリカ、アジア、南米では、いまも人口増大は止まらず、
2050年には100億人になるとも推定されている。
お隣の中国も今年、05年1月に13億人を超えたと発表があった。

                    ※※

●地球もイースター島と同じ限られた空間……。

地球もまた、イースター島と同じく、人類にとっては限られた空間で、
そこで人口爆発が起こっている。

いま、毎日のニュースで原油の高騰が報じられている。
それは一時的な問題ではなく、将来の需給ひっ迫が背景になっていそうだ。
食糧もしかり、穀物、野菜、食肉、漁業資源……と、どれも心配。
また、指摘されることが少ないが、水資源もそう。

砂漠化が進み、貴重な森林も失われる傾向にあり、
温暖化が進んでいるのも周知の事実。

                    ※※

NHKの番組、「地球探検ロマン、世界遺産の旅」は
子どもにも楽しめる番組のつくりになっていると見受けられ、
たぶん、教育的な配慮もあって、イースター島に学ぶべき”核心”がぼやけた。

大きな話を書いてしまい、ちょっと気恥ずかしいが、
人類が環境を変え、壊していく結果として、
地球がイースター島と同じ運命をたどることなど、
絶対にないとは、やはり言い切れない。

                    ※※

長くなってしまった。
ここまでお読みいただいた方には感謝したい。



※参考文献;「環境と文明の世界史―人類20万年の興亡を環境史から学ぶ」(石弘之・安田
喜憲・湯浅赳夫共著、洋泉社新書)、「地球環境報告Ⅰ・Ⅱ」(石弘之著、岩波新書)、他。

よろしければ、今日もクリックを!→ Blog Ranking
[PR]
by yodaway2 | 2005-06-15 23:52 | イースター島文明の警告
歴史研究、溝はやっぱり、大きかった。少し放っておくのも手――。
★補足/文中、日韓首脳会談の予定が揺れている――韓国紙の報道を引用
しましたが、その後の報道によれば予定通り行われる見通しです。
★都合により14日の更新はありません。ご容赦ください。明日はUPできると思います。^^


                    ◇◆

日韓で進めていた歴史共同研究の報告書が公開された――とのニュースについて。
そのほか、韓国の動きを2、3、いっしょに。

 まず、歴史共同研究について――。
今月20日からソウルで日韓首脳会談が予定されているけれど、
それに間に合わせようと発表された、との印象がある。
・共同 → 韓国併合で見解対立=歴史共同研究の全文公開(06月10日 11時01分)
・東京新聞 → 日韓、歴史の溝明確に、併合条約有効性めぐり
・(財)日韓交流基金 → 日韓歴史共同研究報告書

                    ※※

●膨大な「両論併記」……、ひょっとして、委員の手に負えなかった?

報告書は第1分科(古代)、第2分科(中近世)、第3分科(近現代)、
そして全体会議――の4章からなり、報道によれば、
全文、A4判で二千ページ近いのだという。

報告書――というよりは、ひょっとすると、それはもう、
委員たちも手に負えなくて、ただひたすら、
双方の主張を並べてしまったのかもしれない。
隔たりの大きい事柄はすべて両論併記されたようだ。

「両論併記」とは美しい言葉だけれど、
結局、まとまらなかった、ということではないのだろうか。

                    ※※

●肝心カナメの部分は、案の定……、ことごとく対立のまま。

記事を読み比べした範囲の感想だけれど、
結局、日韓で政治的に対立している事柄、肝心カナメの部分が、
ことごとくと言ってよいほど、対立のままになっている。
埋められようはずもなし、ということなのだろうか。

夕刊の記事に整理されていたので、近現代の部分、
ちょっとだけ抜き出してみる。

<韓国併合>
・日本/一連の条約は有効。強制が国家に加えられても、形式的合意さえ整っていれば
条約は有効とされた。異議を唱える列強もなかった。

・韓国/条約は締結手続きに不備があり、不成立か無効。
韓国の反対に遭った日本は批准などの手続を省略、調印だけで成立を偽装した。

<植民地支配>
・日本/朝鮮人動員計画に支障を与えるような抵抗はなかった。
「豊かな大衆消費社会」が出現していた。

・韓国/国家総動員態勢の中「皇国臣民への改造」が推し進められたものの、
結局は失敗。反日運動が各地で展開された。

<国交正常化>
・日本/韓国の日本に対する対する国家と個人の財産・請求権については、
韓国政府も、協定によって消滅したとしている。

・韓国/日韓基本条約はご都合主義的な妥協。少なくとも個人請求権の問題、
賠償の問題は依然として残っている。

――とまあ、こんな具合らしい。

                    ※※

●コイズミ訪朝も歴史研究のテーマだったんだって、さ。(?)

さらに、東京新聞の記事によれば、こんなことも「話題」にしている。

>また小泉純一郎首相の訪朝を含む一連の日朝交渉について、
>韓国側がブッシュ米政権の強い影響を受けていると分析したが、
>日本側は「現在進行中で検証不可能」とすれ違いを見せた。

え……、これって歴史なのかい?
と思った。

                    ※※

●メンツが”学者”だっただけで、政治論議に終始した?

「歴史共同研究」というからには、社会科学としての見地から、
歴史の事実を、因果関係を、なにかもっと、
客観的に検証しようとするようなイメージを抱いていたが、
ほとんど、メンツが学者というだけで、もっぱら政治論議をした、
などということなのだろうか。

日本側が「現在進行中で検証不可能」――としたのはけだし当然。
それにしても、韓国委員の方々には失礼ながら、
歴史研究の場で「政治的主張」もしくは「政治評論」されても困る。

                    ※※

●ところで、次の日韓首脳会談、予定が揺れているらしい……。(-_-;)

韓国紙、朝鮮日報、9日付の記事によれば、
今月20日から予定されている日韓首脳会談について、
どうも、韓国政府は予定通り実施するかどうか、揺れているらしい。
・朝鮮日報 → 韓日首脳会談の実現に暗雲 大統領府内で意見対立(6月10日18:59)

>大統領府と政府の外交実務者、政務担当補佐官の間でも
>「キャンセルは駄目だ」「われわれの意志を見せるべきではないか」といった
>意見の対立が生じていると伝えられる。

われわれの意志……とは、中国・呉儀副首相の行動を思わせるけれど、
要するに、会談の成果が期待できず、そうなった場合のメンツを考えているらしい。

会談を行わない、もしくは先延ばしもありそうだが、
もしそうなったとしても、完全に、あちらのお国の一人相撲にしか映らない。

                    ※※

●竹島問題、「独島の月」で交流制限なんだって……。マジ?

今朝の朝刊に、竹島問題で、韓国、慶尚北道が
毎年10月を「独島の月」とする条例を制定したとのこと。
島根県の「竹島の日」への対抗措置で、日本との交流を制限するそうだ。
・共同 → 「独島の月」条例を制定=韓国・慶尚北道議会(06月09日17時51分)

交流制限とは、具体的には▽慶尚北道の公務員や同道が2分の1以上を出資する
法人・団体の役職員による日本への公務上の出張を10月は規制
▽慶尚北道と同道議会は島根県の「竹島の日」条例が廃棄されるまで
島根県や同県議会と交流できない、など。

これには、もう、呆れた。

島根県の「竹島の日」は、日本政府のかねてからの主張に基づくものであり、
かつ交流制限などの実効措置は盛り込まれていない。
反日デモにも驚いたが、それが、こんなことまでしてくる。

                    ※※

●首脳会談;延期にでも中止にでも、どうぞお好きになさってください、なんてね。

ちょっと、首脳会談に戻る――。
日本はたしかに国連常任理事国入りの問題、北朝鮮による核開発、
拉致事件の解決などで協力を得たいけれど、無理してもしかたないように思う。

とくに国連改革問題では、どうせ……と言うとなんだけれど、
韓国は折れてこないだろう。

ゆえに、もし、首脳会談が延期、中止になっても、
たぶん日本政府は、だいたいは織り込み済みで、とくに困るような気がしない。
延期でも中止にでも、したければそうすればいい、などと思ってしまった。

                    ※※

●要は少し、放っておいたらいいんだね――、と。

ずっと、いがみ合う関係であってよいなどとは、決して思わないが、
現状、韓国が日本に対して徹頭徹尾、理屈そっちのけにカッカしている限り、
こちらからは、少し放っておくのも、手だ――と思う。


≪補足≫数日前、日中韓の3カ国の識者が集まり、共同で「歴史教科書」をつくった――との
ニュースがありました。今回のような、政府間合意に基づく共同研究においても、
まったく埒があかないようなテーマであることを考えれば、あまりに胡散臭い話。
よって、当、Tomorrow's Wayでは取り上げませんでした。^^
[PR]
by yodaway2 | 2005-06-10 22:39 | 世界のいろいろ、さまざま