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週刊!Tomorrow's Way
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テーマはその日の出来事、ニュースから。あと50年経てば、いまの時代、どう語られているのだろうか。

by yodaway2
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「吾、汝の言に反対す。されど吾、汝の、その言を言うの権利、死に至るまで擁護せん」。学生時代に出会った言葉です。政治をめぐる意見に賛成、反対はつきもの。お互いを尊重しつつ、意見を述べ合いたいものです。 
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イラクの占領、日本の占領、――そして「菊と刀」。
改めて考えてみて、不思議に思うのは、60年前の、米国による日本の
占領政策の成功――である。歴史論争するほどの知識は、私にないかもしれないのだが、
考えれば考えるほど不思議であるし、奇跡に近い出来事だったのではと思えてきた。


●イラク人捕虜虐待事件の続報に考えてみた。

なぜ、こんなことを急に書いているかと言えば、米国のイラク統治問題で、
いま、例のアブグレイブ刑務所における捕虜虐待事件の
軍法会議(予備審問)のことがニュースになっていて、刺激を受けたからだ。

ニュースは今朝の朝刊(サイトでは昨日)で報じられた、
「虐待は単に楽しみとストレス発散のためだった」――と。

米女性兵士、イングランド上等兵を審問した調査官が、彼女の言葉として証言した。
・Livedoor(共同)→http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__197155/detail
・CNN→http://cnn.co.jp/usa/CNN200408040002.html

戦後のイラク統治は、暫定政府への政権委譲後も困難な状況にあることは、
伝えられる数々のニュースから、容易に察しがつく。
イラク人捕虜虐待の事件も、そうした困難な状況のなかで起きた。

米国も、たぶん……、こんなはずじゃなかった、と思っているだろう。


●60年前、日本も敗戦した。――米国の占領政策はどうだったか。

それでふと……、思ったのだ。太平洋戦争に敗戦した日本はどうだったか、と。

日本は首都・東京はじめ、主要都市がことごとく……と言ってよいほどに、
空襲を受け、最後は原爆を2度も使用された。本来なら、恨み骨髄だ。

敗戦前の日本には、反戦運動、反政府運動も、もちろん存在していたけれど、
統治システム、国体は維持されていたし、一般に、国民の支持も広くあったのではないか。
敗戦の予感はあったかもしれないが、玉音放送は、やはり晴天に下った霹靂だった。
だから占領軍など、本来なら歓迎などされるはずもなかった。

こうしたところに、GHO(連合国最高司令官総司令部)の占領統治が始まった。

ところが、この、GHQの統治は、日本の復興に極めて有効に作用し、
かなり短い期間に、国民の支持、信頼を勝ち得ることもできた。

財閥解体、農地解放、軍国主義者の公職追放、シャープ税制の導入、
そして日本国憲法原案の作成……と。年齢も若かったであろうGHQスタッフが、
戦後の日本の枠組みをつくり、レールを敷いた。

かくして1950年、マッカーサーは惜しまれつつ日本を離任(更迭にあう)するが、
こうした日本統治の成果は、米国政府にも成功体験として刻み込まれたはずだった。

                    ※※

●周到に練られた日本占領政策。――「菊と刀」を手にして考えてみた。

ところで、こうした米国による、日本の敗戦を見越した統治政策の研究は、
実は戦争開始から間もないころに、本格化していたらしい。

その一つに例示されるのが、ルース・ベネディクト女史の「菊と刀」――だ。
(※「菊と刀」の刊行は終戦からの1年後だが、ここではその過程を含める。)

つい数日前、この本のことを、ふと思い出した。さっそく図書館に行ったのだが、
あいにく貸し出し中。帰り道、これもふと立ち寄った古書店で、なんと偶然にも、
たったの100円で売られていた。これはもう、本に呼ばれたのだと思い、買って帰った。

いま、手元にその本、「定訳『菊と刀』―日本文化の型」がある。
表紙カバーはないけれど、社会思想社から1972年に刊行された単行本。
今は、その文庫本を含めて、絶版になってしまったらしい。


●「菊と刀」が描いた『恥の文化』、――米国はそれを踏まえた。

ベネディクト女史が米軍戦時情報局から日本研究を委嘱されたのは、
終戦よりも1年遡り、1944年6月。彼女自身が「第1章 研究課題 日本」のなかで
書いているのだが、当時はまだ日本軍の攻勢が本格化したばかりで、
米国内では戦争が3年続くだろう、もしかすると10年、
それ以上になるかもしれないと話されていたという。

米国は戦争が本格化しているのを横目に見ながら、
日本人が鬼畜米英、一億玉砕と高揚し、大本営発表を繰り返していた頃、
もうとっとと戦後処理、戦後統治の構想を練り、準備を始めていたのだった。

「菊と刀」は、冒頭、こう始まっている。
「日本人はアメリカがこれまで国をあげて戦った敵の中で、
最も気心の知れない敵であった。大国を敵とする戦いで、これほどはなはだしく
異なった行動と思想の習慣を考慮の中に置く必要に迫られたことは、
今までにないことであった。」


●ベネディクト女史は、一度も日本の地を踏まずに研究をまとめた。

女史は「菊と刀」のなかで、日本文化の特質を、キリスト教文化の「罪の文化」に
対比させて、「恥の文化」として浮かび上がらせた。

女史は、戦時中という制約下に、ただの一度も日本の地を踏むことなく、
米国内に居住していた日本人への聞き取りや文献探索、日本映画を見ての
日本人との意見交換などによって、研究を進めたというから驚きだ。

ちなみに、書名の「菊と刀」――は、西洋人からすれば矛盾にしか思えない
日本人の価値観、つまり「美を愛好し……、菊づくりに秘術を尽くす国民」が、一方で
「刀を崇拝し、武士に最高の栄誉を帰する(――たぶん「特攻」のことなどを指す)」との
一節に由来していると思われる。

米国は太平洋戦争の終結よりもはるかに早く、周到に日本人を研究し、
占領統治のあり方を練っていたのだった。

「菊と刀」をあらわしたベネディクト女史の研究レポートは、ときの政権、
米軍の情報担当者、政策立案者らによって吸い上げれられていった。

今から、60年前の出来事だ。
驚嘆すべき、米国の「知略」――と思わずにはいられない。

                    ※※

●米国に底力はあるのだろうか――。現代に通用する「知略」は?

翻って、今日のイラクの混迷ぶりはどうだろうか。
米国の政府組織が、60年前に比較して、退行したとは思いたくない。
むしろ、進化を遂げているはずだと思いたい。

しかし……、イラクの現状は、はかばかしくない。

アブグレイブ刑務所のことを、特別に取り上げ、一般化するには無理があるけれど、
他のニュースと比べても、やはり米国人はイラク国民から受け入れられていない。

いまはまだ、米国の底力、そして知略にも期待したいのだけれど、
日常化している爆発事件、誘拐事件、テロの情報に、イラクの統治・復興は、
なかなか歯車が噛み合わず、ボタンも掛け違ったままでいるように見える。


※出典/定訳 菊と刀 日本文化の型 <THE CHRYSANTHEMUM AND THE SWORD>
(ルース・ベネディクト著 長谷川松治訳 社会思想社 1972年刊)
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by yodaway2 | 2004-08-05 14:23 | 日本とイラク、どうなる