週刊!Tomorrow's Way
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テーマはその日の出来事、ニュースから。あと50年経てば、いまの時代、どう語られているのだろうか。
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メッセージ
「吾、汝の言に反対す。されど吾、汝の、その言を言うの権利、死に至るまで擁護せん」。学生時代に出会った言葉です。政治をめぐる意見に賛成、反対はつきもの。お互いを尊重しつつ、意見を述べ合いたいものです。 
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鈴木善幸元首相が逝去。粘り強かった生涯。(速報)
鈴木善幸元首相がなくなったとのニュース。
30分ほど前、見ていたテレビにテロップで流れた。
すでに共同、毎日などのサイトにアップ。
・共同→http://www.kyodo.co.jp/
・毎日→http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/
20040720k0000m060106000c.html


亡くなったのは今日、19日午後9時過ぎ。都内の入院先にて。93歳だった。
経歴等、詳細は上記サイトのとおりだが、
以下はTomorrow'sWayなりに、読み物として。





●社会党から初当選し、自民党総裁、総理大臣へ。

1911年、明治44年、岩手県生まれ。
終戦後、中央水産業会に結成された労働組合の初代委員長をつとめ、
1947年に衆議院議員に初立候補、初当選。
このときの所属政党は社会党だった。

その後、社会革新党、自由党を経て、自民党へ。
第1次池田内閣で郵政大臣に。官房長官、厚生大臣、農林大臣を歴任。
とくに福田内閣での農相時代に日ソ漁業交渉をまとめ、
水産族議員としての面目を躍如とさせた。

●党総務会長として、足掛け6年、調整役を果たした。

その一方、佐藤内閣以降、5年8ヶ月、通算10期の長期にわたって、
自民党の総務会長を務めた。 おそらく、これだけ長い期間、
同職をつとめた記録は破られていないはず。

鈴木氏は党の調整役としては、比類無き手腕の持ち主だった。
けんけんがくがくの議論に、自らの意見は言わず、粘り強く耐える。
皆が疲れてきた絶妙のタイミングで、「では、これで……」などと言い、ポトンと、
「落としどころ」を示したという。異能と言えば異能の持ち主だった。

●「角影内閣」「直角内閣」と批判された。

1980年6月、大平正芳総理が選挙中、過労から病に倒れ、急逝。
この選挙で当初、自民党は劣勢だったが、弔い合戦となり、
たちまち形勢を逆転、大勝した。鈴木氏は大平派を引き継いだ。

このときの総選挙は、「40日抗争」と呼ばれる党内抗争の結果、引き起こされ、
ハプニング解散と言われるものであった。

選挙後、中曽根康弘、河本敏夫、宮沢喜一、福田赳夫の各氏が
後継者争いを繰り広げたが、鈴木氏は調整に奔走。
しかし、このときばかりは事態が収拾せず、奇しくも、
調整役であったはずの鈴木氏が総理大臣の指名を受けることになった。

鈴木氏は「40日間抗争」で荒れた党内を沈静化させようと、
「和の政治」を標榜したが、キングメーカー、田中角栄氏の
影響力のもとに発足した内閣とも見られ、「角影内閣」「直角内閣」との批判を浴びた。

●レーガン政権と「同盟」めぐって、ギクシャクした関係に。

1981年5月、レーガン大統領(当時)と日米首脳会談。
このとき日米関係を初めて「同盟関係」との言葉を使ったが、
その後、国会での追及に、「軍事的な意味は含まない」と答弁。
日米関係はとたんに冷え込み、ギクシャクしてしまう。最終的に、
ときの外相、伊東正義氏が辞任に追い込まれる事態にまで発展した。

82年10月の自民党総裁選を前に、突然、「争いたくない」として退陣を表明。
90年2月に議員を引退、長男俊一氏が後を継いだ。

●安岡正篤氏の命名による「宏池会」を担った。

なお鈴木氏の派閥は周知のとおり宮沢派となり、加藤派となった。
その後、「加藤(紘一)の乱」で分裂。現在、主体は堀内派として継承されている。
派閥名は「宏池会(こうちかい)」と言い、戦後の歴代宰相の指南役であった、
故・安岡正篤氏(陽明学者)の命名による、自民党では伝統ある派閥だ。

伝統的に官僚出身者、ハト派が多いとされてきた。

                    ※※

それにしても93歳とはご長寿だった。
タフに、粘り強く生きたご生涯だったと思われる。


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by yodaway2 | 2004-07-19 23:24 | 風雲急!政局と選挙