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週刊!Tomorrow's Way
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テーマはその日の出来事、ニュースから。あと50年経てば、いまの時代、どう語られているのだろうか。

by yodaway2
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メッセージ
「吾、汝の言に反対す。されど吾、汝の、その言を言うの権利、死に至るまで擁護せん」。学生時代に出会った言葉です。政治をめぐる意見に賛成、反対はつきもの。お互いを尊重しつつ、意見を述べ合いたいものです。 
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イラク、香田さん殺害の実行犯が供述。――なぜ、殺されなければいけなかったのかと、父親。
★追記、7日08:52/香田さん殺害犯に共同通信が単独インタビュー。
「監禁中、拷問は一切加えなかった。彼は涙を流して解放を求めていた」と。
さらにイラクのTV局が撮影した映像によれば、として、殺害犯が主犯格の男から
受け取った殺害の報酬は、20万イラクディナール、日本円にすればわずか
約1万6000円であった――とのこと。いたましい限りだと思う。

・共同→香田さん、涙で解放懇願=主犯格から殺害の報酬 [ 03月07日 00時22分 ]

                ※※

一昨年、2004年10月、イラクで武装グループに拘束され、殺害された、
福岡県出身の青年、香田証生さんについて、イラクで拘束中の男が、
犯行を自供した――とのニュース。

この事件が最初に報じられたのは、2004年10月27日早朝(日本時間)。
アルイジャジーラの報道をもとに、国内メディアが伝えた。

今回の報道があって、事件はいつだったかと考えた。
昨年の、いつだったか……と、記憶をたどったところ、昨年ではなく一昨年だった。
もう、すでに1年半近くも経っていたのだ……。

                ※※

自分のブログ内を検索してみたところ、直接、香田さんに
関わるエントリーを、末尾記載のとおり、4つ、書いていた。

彼の行動は軽率であったが、筆者、yodaway2は
責める気持ちになれなかった。

筆者、yodaway2も、やはり彼と同じように、
“心の放浪”を重ねた日々があったし、ひょっとすると、
いまだって、それが続いているかもしれないほどなのだ。
だから、彼の死を知って、とても落胆した。

                ※※

その、エントリーのひとつ、2004年10月31日のエントリー、
「香田さんの死に。すべての、無力を思う。」から再掲、抜粋。
いまも、エントリーを書いたときと、気持ちは変わらない。
香田さんの行動は、やはり軽率には違いがなかった。
そしてその行動は、たしかに、自分探しの旅……であったのかもしれない。

いま、彼の人生を振り返ってみる。

普通なら、高校は卒業する。大学にも進みたいと考える。
しかし、彼は高校を中退してしまった。そして通信制の高校に学ぶ。
職業訓練を受けて、手に職をつけようとする。
塗装工として働きながら、英語を学んだ……。
そして、やりたいことがある――と、ニュージーランドへ。
さらに、自分の目で見てみたい――と、イラクへ。

                ※※

切ないではないか。

うまく生きている人間なんて、この世のなかあふれかえっていて、
それでいて、そのレールを踏み外しさえしなければ、
フツーに、最後まで、うまく生きていける。

でも、彼は、むしろ生きる意味を探したがゆえに、
道に迷ってしまい、あちこち、つまずいたのかもしれない。

拘束された香田さんは、ウェブに流された映像のなかで、
「小泉さん、すいませんでした。また、日本に帰りたいです」――と訴えた。
その話しぶりには、背後に立つテロリストたちへの怯えも混じっていたが、
むしろ落ち着きを失おうとせずに、しっかりとしているようにも聞こえた。

母親は会見のときに、祖母の看病にあたった香田さんの姿を訴えていた。
「やさしい子なんです」と。

彼は軽率ではあったし、幼稚でもあったのだろうが、
同時にとてもとても純粋で、損得を度外視していたようなところもあり、
そして、迷いながら生きていたようにも思われてならない。
                ※※

イラク戦争の開戦は2003年3月19日のこと。
それから2ヶ月と経たないうちに、米国、ブッシュ大統領は、
大規模先頭の終結を宣言したが、しかし、いまだに混乱は続いたまま。

その経過のなかで、多数の外国人が武装組織に誘拐、殺害され、
日本人では香田さんだけでなく、民間軍事会社のエージェントであった、
斉藤昭彦(44)さんも戦闘で死亡した。
・当ブログ→戦争のプロ、斉藤氏の心に去来したのは何か――?(2005年 05月 13日)

もう、イラク戦争が始まってから、3年にもなる。

                ※※

今回の報道に、香田さんの父、真澄さんは次のように話したのだという。
「捕まってうれしいという気持ちはありません。今は、なぜ息子が
殺されなければいけなかったのかという、むなしさだけです」

改めて、ご冥福を祈りたいと思う。

                ◇◆

<当ブログ、過去のエントリー>
・香田さんの死に。すべての、無力を思う。 [2004-10-31 11:50]
・香田さん、一転、別人!救出信じて、がんばれ! [2004-10-30 18:19]
・香田さん、引き止めたかった。 [2004-10-30 12:11]
・イラク日本人拘束、アルジャジーラが伝える。(速報) [2004-10-27 09:07]


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by yodaway2 | 2006-03-02 23:04 | 日本とイラク、どうなる