週刊!Tomorrow's Way
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テーマはその日の出来事、ニュースから。あと50年経てば、いまの時代、どう語られているのだろうか。
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メッセージ
「吾、汝の言に反対す。されど吾、汝の、その言を言うの権利、死に至るまで擁護せん」。学生時代に出会った言葉です。政治をめぐる意見に賛成、反対はつきもの。お互いを尊重しつつ、意見を述べ合いたいものです。 
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米国は嫌われている……けれでも。
長文失礼!イラク人捕虜の虐待なども明るみに出て、国際社会で
最悪の評判となりつつある米国――。米国とはどんな国なのか……。
失望だけなのか、希望は見出せないのか……。
私が米国に初めて行ったのは20年前。盲人の友人、盲導犬を伴ってのことだった。
そのときの記憶をたどってみた。お時間があれば、以下にどうぞ。

                  ※※※

●20年前、初めての米国行きが決まって

私が米国へ渡ったのは20年前、20代の後半の出来事だった。
いま、日本と米国の関係はとても緊密だが、
国際社会における米国の評判となると、これはもう、良いとは言えない。

けれども、20年前の米国で、私は単純に脱帽することばかりだったし、
いまもその印象はあまり変えていない。

●バブル経済の時代……日本が強気一方だったころ

私の学生時代は、まだ今ほど海外旅行が気軽ではなく、かつお金もなく、
海外へ出ることができたのは、社会人になってから、仕事でのことだった。
最初の米国行きはワシントン、ニューヨークを主な目的地にして、
期間は短く10日間ほどであった。

当時、日本はバブル経済の真っ只中にいて、
「ジャパン・アズ・ナンバーワン」などの本がベストセラーになったり、
日本資本が、米国の象徴ともされたロックフェラーセンタービルや
ハリウッドの映画会社を買収したりして、強気一方の時代だった。

●盲人の友人からの依頼

話は少し飛ぶように思われるかもしれないが、
その米国行きの話が出たときに、私に全盲の友人がいて、
そのことを話した。

ご主人とは、共に大学受験浪人中からの付き合いだったのだが、
その後、やはり盲人の女性と結婚し、細君を交えて付き合うようになった。
そしてその細君は、当時、日本ではまだ数少なかった盲導犬の飼い主でもあった。

私がその彼に米国行きの予定を話して数日経ってから、
彼から一つの依頼を受けた。

「うちの女房、前から外国に行きたい、行きたいって言っててさ。
それで君の話を聞いて、うらやましがってさあ……、
できるだけ邪魔しないようにするから、
いっしょにアメリカに連れて行ってくれないかなあ」。

●盲人の細君をいっしょに連れて行ってくれないか、と

うーむ、うーん。……仕事には違いなかったが、私の訪問の目的、仕事の内容は
国際親善の部類に入るものだったし、民間のミッションでメンバーも混成だった。
友人の依頼は、自分の所属していた組織に話すことはできると考えた。

当時、まだ、盲人の方が海外まで出掛けた例は稀であったと聞く。
友人夫妻の話ではアメリカまで出掛けたのは数人、片手で数えるほどで、
米国の、それも東海岸となるとほとんどいないはず、とのことだった。
しかも日本から盲導犬を伴って米国に渡った例は、
ひょっとするとないかもしれない、という。

それで私は彼らからの頼みを聞いて、実現すれば友人も楽しいだろうが、
私自身、自分たちが前例になるのは刺激的だと、密かに考えもした。

●盲導犬を飛行機に、果たして搭乗させられるかどうか

組織の了解は得られたのだが、予定していた航空会社は全日空(ANA)で、
ここでまず引っかかった。

全日空は、その頃、太平洋就航便が許可されたばかり。
(もともと全日空は国内便専門だった。)
それで、盲導犬を米国行きの便に乗せたことなど、もちろんなかった。

組織の後ろ盾はあったが、全日空とは直接掛け合い、
交渉の末、盲導犬の搭乗に、ようやくOKが出た。

――と書けば1行なのだが、前例がなかっただけに、ほとほと苦労した。
まだ、日本では盲導犬と言っても理解がないのは普通で、
実を言うと私自身、友人は「大丈夫、大丈夫、普通の犬と違うから」と言うが、
ワシントンまでおとなしくしているのだろうか……
ウンチやオシッコってほんとうに我慢できるのだろうか……
吼えたり騒いだりしないよな……と、内心はびくびくもしていた。

●盲導犬の仕事ぶり、がまん強さ

日本からワシントンまで、たしか15,6時間、フライトしたと思う。
席はエコノミークラスの一番後ろを指定された。
私と彼女と、彼女の足元にうずくまる盲導犬のうしろには、
スチュワーデス(いまはアテンダント)さんたちが交代で座る席があるだけだった。

つまり――、他の客からは離れた席に座ることになった。

盲人の彼女、つまり友人の細君の盲導犬は、ほんとうに驚いたのだが、
フライトの間、身動きもほとんどせず、ずっと彼女の足元にうずくまっていた。
その盲導犬にとっては、フライト中はまさに仕事であったのだ。
ウンチもオシッコも飛行機の中では1度もせずに、
無事、ワシントンの飛行場に着いた。

ちなみに……横道にそれる話だが、盲導犬君、
ウンチとオシッコは成田で搭乗前に、空港の周りの芝生でしたきり。
アメリカに着いてからは空港を出て、リムジンバスに乗る前まで我慢させた。
盲導犬の賢さ、忍耐強さには、こんなことでも舌を巻いた。

●盲導犬、ところが米国ではノーチェック!

さて、こうして米国に着いたのだが、考えて見ればそれから先、
つまり米国内の移動にも航空機は利用し続けなければならない。
ホテルやレストラン、訪問先で、果たして盲導犬は、どう迎えられたか。

これが……米国内ではほんとうにノートラブルだった。

それから先で飛行機に乗るのに、盲導犬がいっしょであることを
搭乗前に話すくらいのことはしたと思うが、特別な手続を取ったり、
許可を求めたことなど、ほぼなかったと記憶している。
これはホテル、レストラン、マーケット、劇場……
ほとんどあらゆるところで同じだった。
つまりまったくノーチェック、呼び止められもしなかった。

●ワシントンからニューヨークへのシャトル便で

ワシントンからニューヨークまではシャトル便で移動した。
フライトは非常に短く、1時間かからない。
着いたあくる日の朝、さっそく飛行機でニューヨークに向かうことになった。

飛行機は割合小さく、100人に満たない定員だったと思う。
機内はニューヨークへ通勤するビジネスマンでいっぱい。
まるで日本なら満員の電車かバスと同じで、
客はひしめき合うように腰掛け、その間の通路をスチュワーデスが、
ぴょんぴょん飛ぶようにして飲み物をサービスして回る、というふうだった。

スチュワーデスの彼女らが、最初に盲導犬を見て、
「ビューティフル!(かわいい!)」と声を掛けてきたのが、いまも鮮明だ。
でもそれだけ。とてもフランクだった。
アメリカのフトコロの深さとでも言うようなものを、
盲導犬に対する彼らの接し方ひとつにも感じた。

そして、私たちはフツーに機内に着席して、
盲導犬君は友人の細君の足元にうずくまっていた。

ちなみに、日本ではいまだに「バリアフリー」などの言葉に特別な響きがあり、
大型店舗やレストランチェーンが同伴を認めたりしたことが、
あいかわらずニュースになったりもする。
ところが20年前、私の実際の体験として、
米国ではどこに出入りするにも、盲導犬の同伴をとがめだてられたりはしなかった。

●機内は米国の象徴――アメリカそのものだった

盲導犬の話はひとまずこれで置く。
さて、そのギュウギュウ詰めの飛行機だが、中を見渡してみた。

客もスチュワーデスもさすがにアメリカ、――月並みな言い方だが、
人種も肌の色も違っている。白人、黒人、アジア系、ラテン系……と。
一つの飛行機にさまざまな人種が乗り合わせ、そして
さまざまな人種のスタッフでそれを飛ばせている……。

米国についての情報はもちろん豊富にあったわけだが、
文字通り聞くのと見るのとでは大違いだった。

日本はなんだかんだ言っても、やはり概ね同じ肌の色、ひとつの言葉。
うまくコミュニケーションできて、それは当たり前。
それがどうだ、アメリカときたら。異なる人種、民族の人々がお互いに
コミュニケーションしあい、アメリカという一つのシステムを形作り、
動かしているではないか、と。飛行機を飛ばせているではないか、と。

日本人は100年経っても、こんなことってできないのではないか、
そのとき、そう思った。

これじゃあ経済大国といくら気張ってみても、
日本人はやっぱりかなわないのではないかと考えた。
朝、シャトル便に乗っただけで、そんな考えで頭がいっぱいになってしまった。

●20年前に接した米国の誇りは

ニューヨークではちょうど9・11テロで破壊されたあたりも歩き回った。
そして、ある米国の保険会社の本社を訪ね、役員の接遇を受けた。
そのビルはいわゆる摩天楼の一つで、
最上階にあった役員専用のレストランでランチになった。

私はまだ20代後半だったが、向かい合って座った役員氏は非常に紳士的で、
日本と米国の商習慣、労働観の比較などが話題になった。

当時、日本の経済進出は米国の脅威と受け取られ、
非関税障壁がやり玉にあがっていたし、
東芝のラジカセや日本車が、議員の派手なパフォーマンスによって、
ハンマーで打ち壊されたりする映像が伝えられたりした時代だ。

役員氏の話の内容はくわしくは覚えていない。
私もやっとやっとの英語力しかなかったので、たぶん、
稚拙極まりないやりとりだったと思う。

ただ彼が、日本は経済力に見合う思想を伴わないといけない――
というようなことを、言ってきたと記憶している。

逆から言えば、お金だけではなく、米国には世界を動かしている思想がある、
そう彼は私に向かって胸を張ったように思う。
諭されたと言ったほうがいいかもしれない。
私の年齢が若かったこともあるが、接遇は弟分か生徒の扱いそのものだった。
が、それに抗いたいとも思わなかった。

日本人は投資というよりも、投機に狂奔していた時代のこと。
いずれにしても、わたしはひどく素直に納得してしまった。

                     ※

●米国は比較すれば、吸収力のある国……

いま米国への信頼は揺らいでいる。日米関係は強固だが、世界の評判は悪い。
米国は冷戦終結後、ソビエト社会主義共和国連邦が崩壊した後、
世界ただ一つの超大国となったように受け取られたが、
それで世界が安定したわけでも平穏になったわけではなかった。

だから、私が20年前に接した米国の思想は通用していないかに見える。
ひょっとすると幻だったのかとさえ思う。

だが、それでもだ、米国は現実に世界のさまざまな人種、思想を
もっとも吸収し得る国であるし、原則の部分では、
いまだにその能力をなくしていないはずだと期待したい。

「米国性善説」に立つ訳では決してないが、
米国は世界に対して、もう少し、落ち着きを取り戻してよいはずなのだ。
比較すれば、米国は吸収力の大きな国であって然るべきだ。

20年前、最初に感動した記憶をたどりつつ、こんなはずじゃないだろう――と、
そんな気持ちになる。

  
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by yodaway2 | 2004-05-02 19:13 | 米国は嫌われているけれど