週刊!Tomorrow's Way
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テーマはその日の出来事、ニュースから。あと50年経てば、いまの時代、どう語られているのだろうか。
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メッセージ
「吾、汝の言に反対す。されど吾、汝の、その言を言うの権利、死に至るまで擁護せん」。学生時代に出会った言葉です。政治をめぐる意見に賛成、反対はつきもの。お互いを尊重しつつ、意見を述べ合いたいものです。 
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現代の関ヶ原、大谷吉継と竹中平蔵――。勝つのは西軍か東軍か?
今夜、NHK、「その時、歴史が動いた――家康が最も恐れた男、
敗者、石田三成の関ヶ原」を見た。石田三成がテーマだったが、番組を見ながら、
なぜか、三成に家康と戦うことを諌めながらも西軍に加わった武将、
大谷吉継(おおたによしつぐ)のことばかり考えていた。

吉継は関が原の戦いに、らい病を患う身であったため、
頭巾で顔を覆い、輿(こし)に乗って出陣し、最後、自刃した。
学生のころ、その大谷吉継の生き様を何かで読み、感銘を受けたことがあった。

秀吉没後、喪の明けぬうちに動きだした家康――。天下は持ち回り、と、
実力のある者が天下人となるのは当然と言い出し、秀吉の遺言を顧みようとしない。
各地の大名たちが次第に家康になびいていくなかで、
必死にそれを阻もうとした石田三成……。
しかし、三成もまた家康の姦計により、じりじりと追い込まれていく。

慶長3年(1597年)、大谷吉継は家康の命で、上杉征伐に向かう途中、
佐和山城に謹慎中の身(――番組による)であった三成を訪ねた。
そこで、大谷は三成から家康討伐計画を打ち明けられる。

吉継は、すでに家康の実力が抗えるものでないことを知っていた。
吉継は懸命に、三成に計画の中止を求めた。
が、三成の決意は固く、くつがえせない。

吉継は三成の前で瞑目した。――三成は昔からの友。
九州平定では共に兵站奉行、朝鮮派兵のときにも共に船奉行だった。
そして何よりも、吉継にとって忘れがたかったのは、
秀吉の催した茶席での出来事だった。

吉継はその時、すでにらい病にかかっていて、皆、気持ち悪がっていたのだという。
名だたる武将が並ぶ席で、碗が吉継のもとへ回ってきた。
吉継は椀をすすり、隣に座る三成に渡す前、不覚にもその中へ、
ずるりと鼻をたらしてしまったのだという。

皆が固唾を呑んだ――。

三成は吉継から椀を受け取ると、こともなげに、
中の茶を最後の一滴まで飲み干し、縁を懐紙でぬぐい、新しい茶を欲したという。
三成が避ければ、その後の誰も、その椀に唇さえもつけることができなかっただろう。

吉継は三成に救われ、心のなかで泣いた……。かたじけない、と。

                    ※※

家康討伐の計画を打ち明けられた吉継は、そのことを思い出していた。
「三成には忘れることのできない恩義がある、ここで見放しては義に背く」――と。
そして三成と行動を共にすると、決断した。

慶長5年(1600年)、関が原の戦いにて、
大半の西軍が山上に陣を取り、動こうとしないなかで、
吉継は三成、小西行長、宇喜田秀家らと共に奮戦、一度は東軍の猛攻を退ける。

らい病の吉継は馬に乗ることもできなかったので、
筏(いかだ)のような輿に乗って軍配を振るった。

「ものども、ここを死に場所と心得よッ、押し出せえッ、押し出せえッ!」
鬼神と化したかのごとき大谷軍は、東軍を震え上がらせた。
が、午後1時ごろ、東軍に内応した小早川軍に背後を急襲される。
大谷軍は壊滅……、吉継も自刃した。

                    ※※

いつも時事問題や政治、政局をテーマにエントリーを書いているのに、
今日は妙な展開になってしまった。なので一応……、いつものテーマに近づけたい。

ちょっとだけだが、今の政局に、大谷吉継とだぶってしまった人物がいる。
竹中平蔵郵政民営化担当大臣。……強引かもしれないけれど、
思いついたので、素直に過去の記憶を引っ張り出すことにする。

以下は2004年9月27日に書いた当ブログの過去の記事、竹中氏のプロフ紹介。
「内閣改造、台風近づく中で船出!――第2次小泉改造内閣の顔ぶれ」からの抜粋。

 ▽経済財政・郵政民営化/竹中平蔵(留任)
   →いまやコイズミ首相の、最大の知恵袋。
   改革の本丸と位置づける郵政民営化を担い、内閣の命運を左右するほどの存在。

   三国志さながらに、三顧の礼を以ってコイズミ首相に請われて入閣。
   経済政策を仕切る参謀として、これからの、日本経済のシナリオを描いている。
   とくに今回の改造で、再び2つの大臣職を兼任することになった。 

   前回の内閣改造前、経済界からも、自民党内からも、
   同氏を激しく攻撃する声が高まり、青木幹雄氏らも強硬に交替(「更迭」)を求めた。

   竹中氏も、そうされることを覚悟し、改造の日の朝、大臣室を片付けていたという。
   そこへ官邸からの電話――。

   竹中氏はそのとき、震えるほどに感激した。
   「総理は自分を、この私を守ってくれた」――と。そして、男泣きに泣いた。
   「学者大臣」と揶揄されてきた竹中氏は、このときから、鬼の心も持ち始めた。

   先の参議院選挙に際して、家族などは出馬を止めようとしたらしいが、
   首相本人からの要請に、彼は応じた。

   竹中氏の脳裏に浮かんだ言葉は、
   ぽってりした童顔の、学者大臣には似合わぬ、
   「士は己を知る者のために死す」――であった。
   (以下略)


郵政民営化が、竹中氏自身が持ち込んだ政策でなかったのにもかかわらず、 
同氏はいまや、文字通りコイズミ首相の片腕、参謀――。
しかし、これほどまでに、彼が首相を支え、郵政民営化の実現に
運命共同体となったのには、いくつかの出来事、経緯があった。

過日、テレビで郵政民営化をめぐる、民主党、菅直人前代表との論戦を見たが、
竹中氏には一歩も引かぬ気迫があり、菅氏を圧倒した。

それが、かつて、周囲の批判もものかはと、彼の才を買い続けたコイズミに対する、
彼の、侠気(おとこぎ)から発しているのだろうと考えている。

                    ※※

選挙はまだ序盤、それぞれが信じるところを貫けばよい。
「義」に生きよ――、とも思う。

今日はちょっと強引な組み立てになったけれど、
意のあるところ、お汲み取りいただければ幸いに思う次第。^^


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by yodaway2 | 2005-08-31 23:17 | 風雲急!政局と選挙