週刊!Tomorrow's Way
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テーマはその日の出来事、ニュースから。あと50年経てば、いまの時代、どう語られているのだろうか。
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メッセージ
「吾、汝の言に反対す。されど吾、汝の、その言を言うの権利、死に至るまで擁護せん」。学生時代に出会った言葉です。政治をめぐる意見に賛成、反対はつきもの。お互いを尊重しつつ、意見を述べ合いたいものです。 
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天安門から16年……、静かな注視を浴びる中国。その明日は?
★文末、中国領事、豪州政府に亡命申請――について追記あり。

                    ◇◇

重ねて中国を取り上げる――。
天安門事件から、昨日、6月4日で16年目を迎えた――と、各紙が報道。

節目としては、むしろ昨年が15年目であって、今年が
キリがよいわけでもなんでもない。しかし、この、6月4日には、
静かに、世界の注目が集まっていたのではないか。
・毎日→<天安門16年>香港で追悼集会 趙・元総書記の遺影も(06月04日23時05分)
・毎日→<天安門16年>再評価求める声に、今でも神経質な中国政府(06月0419時45分)
・共同→天安門事件の風化進む 胡指導部に失望の声(06月04日19時04分)
・ロイター→香港で天安門事件犠牲者追悼集会、4万5000人が参加(6月5日15時52分)

                    ※※

●中国政府は目立たないように、封じ込めた。

それを意識してのことと思う、中国政府は、目立たないように、
巧みに人々の動きを監視し、封じ込めた。

天安門事件の犠牲者遺族は自宅に軟禁され、
天安門前広場、大学、故・趙紫陽氏自宅周辺でも人目を避け、
少し離れたところに警察車両が待機していたらしい。

香港では4万5000人の追悼デモが催されたが、それは
昨年の15年目に比べて半数――。北京、天安門前広場では、
観光客でにぎわい、人々はふだんどおりに往来したのだという。

事件自体を知らない中国国民も増えているとのことで、
風化が進んでいるとの報道、分析は、多かった。

                    ※※

●16年前、そこで何が起きたのか……。

16年前、まだ私は東京にいた。
30歳そこそこ、連日の徹夜にびくともせず、仕事に夢中だった。
それでも、この、天安門事件のニュースは、つぶさに見ていたし、覚えている。

どんなことが起きたのか……。
1989年4月15日、胡耀邦前共産党総書記(当時)が死去。
この日をきっかけに、学生が民主化要求デモを開始した。

日本でも連日のようにニュースに。
民主化要求は瞬く間に膨れ上がり、天安門前広場には、
たぶん、北京以外の地方都市からも続々と学生が集結――。
テントやバスの中に泊り込み、気勢を上げ、ハンスト「絶食」に入った。

経済の改革解放政策を進めていたのは鄧小平氏。
民主化要求は、その改革解放路線の、コインの裏側のように沸き起こった。
鄧小平氏も改革解放路線の延長に、民主化要求をきっと理解するはず――。
集まった学生たちは、漠然と、甘い期待を抱いていたのかもしれない。

                    ※※

●ハンスト学生たちの間に分け入り、マイクを握った趙紫陽氏……、。

学生たちのハンストに、中国指導部は苦悩した。
国民の共感が高まり、政権、ひいては社会全体を
揺るがしかねないと恐れ始めてもいた。

ときの総書記、趙紫陽氏(05年1月に死去)が学生たちの間に分け入った。
ハンストを続けていた学生たちの衰弱が伝えられていたころ……。
夜だったと思う、ハンドマイク(トラメガ)を握り、学生に呼びかけた。
遅れてすまなかった、気持ちはわかる、ハンストをやめてほしい。

趙紫陽氏の姿に学生は歓呼の声をあげた。
籠城するバスの窓から手を差し出し、握手を求める姿も見た。
趙紫陽氏が演説の合間に、落涙した姿も覚えている。

                    ※※

●鄧小平氏の激怒――。そして戒厳令。

ところが、その、趙紫陽氏の落涙こそが、絶対権力者、鄧小平氏の
怒りを招くことになった。鄧小平氏はデモが社会不安を引き起こし、
改革解放路線そのものを頓挫しかねないと、危機感を募らせた。
怒りは、すぐに人民日報の社説になった、デモは動乱――、と。

学生たちはこれにいっせいに反発、逆に拡大してしまう。
5月20日、北京に戒厳令がしかれ、4日夜――、
戒厳部隊が天安門広場に突入した。

                    ※※

●一斉射撃、戦車の蹂躙……、死者数はいまも不明。

一列に並んだ部隊による一斉発砲、戦車の蹂躙、
押しつぶされるテント、血だらけになって逃げ惑う学生……。

驚くかな、これらが瞬時、テレビで放映され、新聞で、雑誌で、
世界に伝えられた。……私も、テレビのニュースに動けなかった。

この戒厳部隊の突入は「血の弾圧」として、いまに伝えられる。
死者の数は、いまもって不明――。
事件後の6月23日、趙紫陽氏は指導が誤ったとして
総書記を解任され、後任に江沢民氏が就いた。

                    ※※

●現代中国は変わったのか、変わっていないのか。

事件は風化しているのだという……。
近年の急速な経済発展に、現在の中国と当時の中国は、
もはや同じではないとも見られていた。

それが、4月に反日デモが続発、そして政府の封じ込め……。
世界は疑念を抱いた、ひょっとしたら、中国の不安定さは、
やや形を変えてはいるが、16年前から引きずっているのではないか、と。

その中国は2008年に北京オリンピック、2010年に上海万博を開催する。
毎年、9%もの経済成長を続けていて、根強い崩壊論をよそに、
右肩上がりを持続。2030年にはBRICsの筆頭として、
世界第1位の経済力となる――との分析もある。
(ゴールドマンサックス証券レポート)

ちなみに、同じ分析レポートによれば、2030年、日本は
インドにも抜かれ、世界第4位にまで順位を下げているのだという。

が、その影で、依然として言論、報道の自由が制約され、
人権の抑圧があり、経済格差などの不満から
地方、農村部では暴動が続発しているらしい。

                    ※※

事件16年目の6月4日、総じて中国は静かだった。
とりあえず、中国政府は事件の封印に成功し、
世界の眼差しにも、肩透かしを食わせた。



                    ◇◆
≪追記、5日午後9時15分≫

●オーストリア、中国領事が亡命申請……。物語るものは?

在シドニー中国総領事館の陳永林領事、37歳が、
オーストラリア政府に政治亡命を求めていた――とのニュース。
・毎日→<オーストラリア>中国領事が亡命申請(06月04日21時11分)
・ロイター→中国外交官、オーストラリアに政治亡命を図る(06月04日20時55分)

毎日の報道によれば、陳氏は中国当局が豪州で反体制派中国人を
拉致した――などとも暴露。中国政府の抑圧態勢を厳しく批判し、
自身、帰国すれば身の危険があるとして、亡命を求めた。

豪州政府は亡命は認めなかったが、代わりに保護ビザを出し、
陳氏が豪州にとどまることを許可した。

天安門事件の16年目、広場は平穏を装ったが、
少し、人々の心に踏み入れば、風化したとは言い難そうだ。
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by yodaway2 | 2005-06-05 18:20 | 中国と、どう付き合う