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週刊!Tomorrow's Way
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テーマはその日の出来事、ニュースから。あと50年経てば、いまの時代、どう語られているのだろうか。

by yodaway2
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メッセージ
「吾、汝の言に反対す。されど吾、汝の、その言を言うの権利、死に至るまで擁護せん」。学生時代に出会った言葉です。政治をめぐる意見に賛成、反対はつきもの。お互いを尊重しつつ、意見を述べ合いたいものです。 
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ポスト小泉、福田康夫氏の視線が気になった……。(加筆)
(※5月4日午後3時、加筆。長いので、お急ぎの方は小見出しのみでも。^^)

今日は久しぶりに政局ネタ――。

私のブックマークのひとつ(ふたつ)、毎日のサイト、政治から、
岩見隆夫氏のコラム「近聞遠見」と、松田喬和氏のコラム「政治のいろは」へ。
・毎日(政治)→近聞遠見:「改革は革命ではない」=岩見隆夫(いわみ・たかお)
・毎日(政治)→政治の“いろは”:動き始めた福田前長官=松田喬和(まつだ・たかかず)

実はこの2人に岸井成格氏のコラムを加え、
毎日のサイト→政治の、この3人のコラムは、いつもだいたい読んでいる。
深い理由があるわけでもないのだけれど、なんとなく、この3人は読みやすい。
他のサイトのコラムも、もちろん読むけれど、気まぐれだ。

                    ※※

●2人のコラムニスト、同時に福田氏を話題に――。

さて、この2人の最新のコラムで、どちらにも、
福田康夫前官房長官が登場している。
「ポスト小泉」として急浮上――、という文脈になっている。

前官房長官、福田氏は周知のとおり、国民年金未納問題をめぐり
「政治に対する国民の信頼を失った」として、昨年の5月7日、突然、辞任した。
辞任の裏には、理由とした年金問題だけではなく、外交問題、とくに北朝鮮問題で、
コイズミ首相との間で確執があったと言われた。

また、福田氏の官房長官在任期間は、歴代最長の1289日間。
前森内閣から続いての登板に、疲れもあったにはあったのかもしれない――。

                    ※※

●辞任後、沈黙を続けた福田氏。……しかし布石が、あちこちに。

辞任後の福田氏は「謹慎期間」などと称して沈黙――。
旧知の仲、ハワード・ベーカー氏が離任前に自民党本部で、
講演したときの進行、対談相手になったりもしたが、
それほど目立つこともなかった。

それが、冒頭の2つのコラムでも触れられているがごとく、
最近になって、急にポスト小泉の一人として浮上してきた。

前述、目立つこともなかった……、とは書いた。
しかし、それはマスコミの注目を集めるようなところでは、ということ。
布石――を、ここに一つ、あそこに一つと、それとはなしに打ってきた。

                    ※※

●福田・森・コイズミ――の兄弟盃。

福田氏は周知のとおり、故・福田赳夫元首相の長男。
昭和11年(1936年)7月16日の生まれ。群馬4区、当選5回。
早稲田大学政経学部卒業後、丸善石油にてサラリーマン。
父の首相就任に伴い秘書官となり、政界へ。

このブログでも何度もふれてきているとおり、
コイズミ首相は、最初の選挙に落選したあと、福田赳夫氏の元で
書生生活を送り、当選後も、一貫して師と仰いだ。

また、森前首相にとっても福田赳夫氏は政治の師であり、
福田康夫、森喜朗、コイズミ純一郎――の3人は「兄弟盃」の仲。
3人は年齢順に福田康夫氏が長兄、森氏が次兄、コイズミ首相が末弟と言い合い、
コイズミ首相はヤスオさん、福田氏はジュンちゃん――と呼び合っていた。

                    ※※

●コイズミ首相の改革路線を、改めて肯定してみせる。

冒頭、岩見氏のコラムによれば、福田氏は近著、
「一国は一人を以(もっ)て興り、一人を以て亡(ほろ)ぶ」
(衛藤征士郎元防衛庁長官との対談・KKベストセラーズ)において、
コイズミ首相の改革路線について、こう述べているという。
(原著、まだ読んでいないので”孫引き”。^^)

>改革は革命とは違う。だから、時間をかけてみないとわからないものが多い。
>……郵政もまさにそうだ。小泉総理は遠くを見ている。丸投げとよく言われるが、
>自分は方向性を強く示し、達成までの道筋はみんなでつけてくれ、任せる、
>という考えだ。10年先にボールを投げた、ということです。

岩見氏の引用の趣旨は違うのだが、この発言は、改めて、
コイズミ首相の改革路線を肯定したもの。

                    ※※

●派閥では、郵政民営化では? ――けっこう、クセ球も。

ところが福田氏は、そうそう直球を投げたものでもないようだ。
他の面では、けっこうクセ球を放り、なかなか変化に富む行動をしていると感じている。

まず、派閥内。福田氏は昨年10月、
森派(清和会)の代表幹事、4人のうちの一人に就任している。

森派は、それまでの事務総長を廃止し、4人の代表幹事による合議制にしたのだが、
これは、ちょっと矛盾するようだけれど、福田氏の布石ではなく、森前首相が打った布石。
つまり、福田氏がそれまで、森氏からの事務総長就任を固辞し続けたために、
森氏はやむなく4人の代表幹事制とし、福田氏の”復活”を誘った。

次に郵政民営化――。福田氏は森派なので、当然にして推進派、と思いきや、
なんと、綿貫民輔前衆院議長の呼びかける民営化反対の会合に出席しているらしい。
これはオモテでは、打倒・コイズミ政権を仕掛ける反対派からの
誘いに乗ったとの解釈もあるけれど、そうとは言えない。

福田氏がコイズミ首相の出身派閥・森派の代表幹事であることの意味は重い。
むしろ、福田氏が郵政民営化の会合に出席することによって、
首相の言う「(反対派と言っても)中身はいろいろですから……」に
呼応する状況をつくっている。

                    ※※

●かつて激しく対立。しかし最近、会ったりもしている……。

首相と福田氏はどうか――?
一時はほんとうに行き来が途絶えていた。が、最近、2人は会っている。
ごく最近では4月21日午後4時0分から11分、同月28日午後6時1分から6分まで。
普通の間隔では10分、5分ほど会って何が話せる……と思いそうなものだが、
首相の日程の過密さを考えなくてはならない。

また、コイズミ首相と福田氏との間には、とくに外交政策において
隔たりがある――との見方が一般的で、私もその見方は
間違っていないと思うのだが、その隔たりが、大きさよりも、
どのような質のものであったかについては、少し冷静にとらえたほうが、いい。

                    ※※

●コイズミ首相;福田氏が去った後に「福田路線」に戻った?

というのも、コイズミ首相は、福田氏が閣外に去るにあたって、
まず、彼が後継指名した細田官房長官を受け入れた。
細田氏こそは、歴代最長の官房長官であった福田氏をして、
「あの男なら任せられる」――と言わしめた人物。
福田氏も手堅いが、細田氏も、めっぽう手堅い。

また、2人の対立を決定的にした北朝鮮問題、首相の再訪朝問題についてだけれど、
これは、局面では首相が自分の考えを押し通した。
それは別の面で確執を深めていた安倍氏をも振り切る決断だった。
「ソフトなタカ派」――の異名を持っていた強硬派、安倍氏も、
首相の再訪朝には猛反対していた。

                    ※※

●田中審議官を切らなかったコイズミ首相。その胸のうちは……?

しかし、福田氏が閣外に去ったあと、フシギなことにも、
コイズミ首相は、自分に反した行動も取った田中均審議官を、
ブレーン格からはずさなかった。

外務省の事務次官人事でもめそうになったとき、
首相は外相、外務省に自分で連絡を入れ、
「タナカ君のことは配慮してくれ」――との”指示”を与えている。

また福田氏、安倍氏の反対を押し切って、
再訪朝したコイズミ首相だったが、その後は一転、
経済制裁の発動に慎重な姿勢を取り続けているなど、
拉致議連、タカ派グループなどが軽挙妄動に走ろうとするのを戒めてさえいる。

コイズミ首相は、福田氏が去ったのち、皮肉にも「福田路線」に、
少し針を戻しており、それをいまも続けている。

これは、コイズミ首相と福田氏は切れたようで切れていなかった。
このへんの、特殊な人間関係を読み解けないことには、
ポスト小泉は見えてこない。

                    ※※

●堀内氏らと農業問題の勉強会、憲法問題では9条見直しの座長に――。

福田氏のことに話を戻したい。
福田氏は、抵抗勢力に対してはどう構えているのか――?

ちょっと長くなってきたので、手短に結論のみ書くけれど、
昨年末、反コイズミグループ、堀内光雄氏らと共に、
農業政策に関わる勉強会をつくったりするなど、表面、
反コイズミグループからの仕掛けにスッと乗って行っているところが、
おもしろい。森派の代表幹事……でありながら。

福田待望論が、自民党内のベテランに強まっていることは、
冒頭、松田氏のコラムにも記述のあるとおり。

また与党・自民党が、「ポスト・コイズミ改革」の筆頭に掲げる、
憲法改正問題についてはどうか――?
これもまた、渋いところにポジションを得ている。

福田氏は、与謝野政調会長の招請で、今年1月、
憲法改正にあたって最大の焦点、9条に関わる小委員会の
座長に就任してもいるのだ。
(正式名称;自由民主党新憲法起草委員会安全保障及び
非常事態に関する小委員会委員長)

                    ※※

●対米、対中に独自のパイプを培い、コイズミ後の外交をにらむ……?

ただ、福田氏は外交政策に関する限り、コイズミ首相の路線には、
依然として、かなり明確に不満を抱いていると思われる。

長くなってしまい、書ききれないので、またの機会にしたいけれど、
福田氏は対米パイプも太いが、外務省のいわゆるチャイナ・スクールにも
パイプが太く、外務省・田中均前審議官の後ろ盾とも言われていた。

彼には彼の信念があって、過去に、官房長官でありながら、
コイズミ首相と抜き差しならない対立劇に至った。
そのとき、福田氏は、コイズミ首相、安倍氏らの強硬路線(世間は
コイズミ首相を強硬路線と見ていないし、安倍氏とも齟齬があると見ているが、
必ずしもそうではない――というのが、筆者の見方)では行き詰る、と踏んでいた。

なお、米国とのパイプについては、
コイズミ政権発足直後の、アーミテージ国務副長官(当時)来日に際し、
愚かにも田中真紀子外相(同)が面談すっぽかしをやらかしたが、
それを福田氏が面談、リカバリーし、おまけにコイズミ首相との会談もセットしたこと、
前述、ハワード・ベーカー前大使離日前の、自民党本部の講演では、
対談の相手をつとめたこと――等々、説明するまでもなく、強い。

                    ※※

●水面の喧騒、水底の静寂……。時、至るのを待っている?

改革路線は、全体として継続。
郵政民営化後に対しては、党内融和を睨んでいる。
外交については、独自の路線を準備しつつある。

コイズミ政権は、自身、3年間在籍したけれど、
振り返れば、終始、対決ムードばかりだった。
そろそろ落ち着きを取り戻したい……と、世論も考えだすのではないか。
手堅くいきたい、手堅く、ね。……とでも、福田氏は考えているのではないか。

福田氏は、いまは大体、そんなところにいて、声がかかればよし、
さにあらざれば、引き続き機会を待つ――とでも考えているのではないか。

長くなってしまった。また改めて、続きを書きたい。
ここまでで、今回は打ち止め。

以上にて、アップ!


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by yodaway2 | 2005-05-03 23:01 | 風雲急!政局と選挙