週刊!Tomorrow's Way
tomorrows.exblog.jp

テーマはその日の出来事、ニュースから。あと50年経てば、いまの時代、どう語られているのだろうか。
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31
メッセージ
「吾、汝の言に反対す。されど吾、汝の、その言を言うの権利、死に至るまで擁護せん」。学生時代に出会った言葉です。政治をめぐる意見に賛成、反対はつきもの。お互いを尊重しつつ、意見を述べ合いたいものです。 
・→関連エントリー
・→ブロガーズ・マナー
・→ステイタス&プロフィール
◆22万アクセスを突破!記事数644本(2007.3.16現在)

★★人気Blogランキング
よろしければ、ぜひクリックを!
カテゴリはニュース全般です。

・→BlogRanking

★厳選!情報ソース
※ニュースサイト、シンクタンクなどのリンク集。すごく便利ですよ!
(Seesaaに移転しました。)
★ブログ・リンク(excite以外)
※外部の相互リンクのページです。exciteブログはこのフレーム、下の方にあります。  
★中国古典の名言
※生き抜く知恵を古典に学ぶ。
以前の記事
カテゴリ
最新のトラックバック
フォロー中のブログ
検索
タグ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
ブログ再開。言海、「遂げずばやまじ」の言葉に。
久々のブログへの投稿になります。

年明け早々、急に出張の予定が入り、
実は先週の木曜日に帰宅したことにはしたのですが、
金曜日は一日、出張の整理と来客の対応とで終わり、
その後も態勢の立て直しに追われてしまいました。

このブログ開設以来の、長い空白となってしまいましたので、
もう、ほとんど今日が、私にとっても、このブログにとっても
お正月のようなものです。

気持ちをリフレッシュして、気になること、ひっかかること、
ピンときたこと、心に留めておきたいこと……などなどについて、
また、とことこと、エントリーを続けていきたいと考えています。
(以下、だ、である、にて。)

                    ※※

●本棚に積まれていた「言海」(ちくま文庫版)――。

さて、昨日の夜、私の自宅の本棚をかしゃかしゃと整理していたら、
私の家人が買い込んで、たぶん手もつけずに棚の端に、
横にポンと積んでいるままにしてあった本に手が止まった。

文庫本なのだが、とても厚い本。解説を入れて1349ページ、
定規を当てたら、ちょうど5センチにもなる。

それはちくま学芸文庫の1冊で、「言海(げんかい)」――。
著者は大槻文彦(おおつき・ふみひこ)。元の本は
明治22年から24年(1889-91年)に4分冊で刊行され、
わが国初の、近代的国語辞典と言われた。

                    ※※

●著者、大槻文彦のバックボーン。

この辞典の著者、大槻文彦は、実は私の住んでいる街、仙台にゆかりのある人物。
祖父は幕末の蘭学者(洋学者)、大槻玄沢(げんたく)、父は儒学者、大槻磐渓(ばんけい)。
玄沢は仙台藩に生まれ、杉田玄白、前野良沢に師事、
「蘭学階梯」などを著し、後に幕府の蛮書和解御用係となった。
磐渓は儒学者(漢学者)であったが、ペリー来航時に開国論を主張した。
そして文彦は日本最初の近代国語辞典、「言海」の刊行に生涯を賭けて取り組んだ。

「言海」の編纂、執筆は文部省の命によるものであったが、
その事業は、次第に政府からも忘れ去られてしまったようすなのだが、
文彦はこれにくじけず、執筆を続けた。

その間、娘と妻とを相次いで病気で失うなど、彼自身の人生においても
度々の苦難に見舞われもした。

そして執筆開始から17年、文彦は政府から原稿の返却を受け、
自ら校正、朱筆を入れ、私財を投じて「私版」として刊行されるに至った。

                    ※※

●起稿から刊行まで17年、文彦を支えた言葉。

「言海」の跋文(ばつぶん)、「ことばのうみのおくがき」に、
文彦の執筆、編纂を支えた言葉が記されている。

「先人、嘗(かつ)て、文彦らに、王父(わうふ)が誡語(かいご)なりとて語られけるは
『およそ、事業は、みだりに興(おこ)すことあるべからず、思いさだめて興すことあらば、
遂げずばやまじ、の精神なかるべからず。』と語られぬ、おのれ、不肖にはあれど、
平生、この誡語を服膺(ふくよう)す」

王父は祖父、玄沢のこと。その玄沢が文彦に戒めとして語ったのが
「およそ、事業は軽々しく始めてはならないが、それと心に決めて始めたならば、
『遂げずばやまじ』の精神がないようであってはならない」との言葉。
私は不肖――祖父、父には劣るけれど、いつも、この戒めを心に留めて忘れずにいた。

                    ※※

●そして、「斎藤和英大辞典」を著した斎藤秀三郎のこと――。

実は仙台には、この大槻文彦の「言海」だけでなく、
日本の辞典について、もう1人、出色の人物がいる。
「斎藤和英大辞典」を著した斎藤秀三郎(さいとう・ひでさぶろう)――。
斎藤は仙台藩士、斎藤永頼の子として、現在の仙台市に生まれた。

斎藤の代表的な著作「斎藤和英大辞典」(日英社、昭和3年刊)は
厚さ14センチ、重さ4キログラムに及ぶ大著で、
見出し語約5万、例文約15万が収録された。
今日の「広辞苑」ほどの重量感がある。

もちろん、これより以前に和英辞典は数々出版されていたのだが、
これほどの収録語数ではなく、完全に類書を凌駕し、一世を風靡した。

●関東大震災に原稿を焼失。しかし、平然として執筆を再開――。

斎藤はこの「斎藤和英大辞典」をただ一人で執筆したと伝えられている。
それにも驚かざるを得ないのだが、
この辞典の執筆中に斎藤は関東大震災に見舞われ、
それまで書きためていた原稿をすべて焼失したというのだ。

しかし、斎藤は震災後、落胆の色もみせず、平然として、
また一から執筆をし直したという。

                    ※※

●偉人には遠く及ばないけれど……。

はてさて、17年をかけて、前人未踏の国語辞書編纂の事業を完遂した大槻文彦、
関東大震災に執筆中の原稿を焼失しても平然とし、
いまなお威容を誇る和英大辞典を完成させた斎藤秀三郎――、
こうした偉人には遠く、足元どころか、足の爪の先にも及ばないのだが、
何ごと、始めたならば、遂げずばやまじ――ではありたい。

このブログと、先人の偉業とを並べることは不遜極まりないことで、
それはできないことながら、継続は力なりとの点で、
何気なく手にした「言海」の文庫本から、まず学びたいと思った次第。
「斎藤和英大辞典」については、以前に読み知っていたエピソードを思い出した次第。

このブログには「ん」「Z」の項はなく、ここでお終い――の到達点は設けられないけれど、
しかし、正直にそのとき、そのときの自分の考えを書き出していきたい。

                    ※※

最初に引用した大槻文彦の「言海」の跋文の続き。
「本書、明治八年起稿してより、今年にいたりて、はじめて刊行の業を終へぬ、
思へば十七年の星霜なり、こゝに、過去の経歴の跡どもを、おほかたに
書いつけて、後のおもひでにせむとす、見む人、そのくだくだしきを笑ひたまふな」

話は長くなってしまったけれど、かくして、ブログをとことこと再開する次第。
そして、どなたかの目に止まれば、それは幸せこのうえないこと。
ただ……、「見ん人、くだくだしきを笑いたまうな」。^^

                    ※※

次からバリバリ、エントリーしてまいります。
では、また。^^


※よろしければ、今日もクリックを!→ Blog Ranking
[PR]
by yodaway2 | 2005-01-18 15:25 | ブログの気持ち、いろいろ